西部警察に見る大牟田荒尾の昭和55年 @

64話 九州横断大捜査網!!(昭和5614日放送)

 


今話は、偽札を造るシンジゲートを探し出し、撲滅することがミッション。

西部署は犯人グループが福岡にいることを突き止め、大門軍団は福岡市へ向かう。

 

※福岡では、KBCラジオの移動中継車「ひまわり号」が出てくる。これも懐かしい。


福岡市で犯人グループの無線を傍受。大門軍団は、犯人グループが大牟田、三池港から偽札を運び出そうとしていることを知る。

 

※この頃の無線はデジタル化されていなかったので、それほど苦労せずに傍受されていた。携帯電話などない時代で(小暮課長のガゼールには贅沢にも自動車電話が装備されていた)、広域犯罪にはアナログ無線を用いるのが標準であった。


大門団長(渡哲也)「大牟田に向かいます」。

ヘリと陸路に分かれ出発。陸路組は今となっては使わなくなった呼称「九州縦貫自動車道」で大牟田・三池港へ向かう。

 

※当時、大牟田の人々は、渡哲也があの渋い声で「大牟田」と言ったことに感動。


一方、犯人グループのトラックは三池港へ向かう。

 

旧四山坑の前を通っても三池港の埠頭へは行けない。「犯人グループは道に迷ったか」と思った地元の人も多かった。この竪坑櫓は後に発破で解体されるが、西部警察のようにガソリンによるデフォルメはなかったため、爆破された櫓が炎に包まれることはかった。


団長のヘリは三池港に近づく。

 

※四山社宅、三井アルミ、三川発電所、港発電所の現役時代の姿が見える。団長機は北上しているがどこから来たのか、複雑な飛行ルートなのか。


団長のヘリは新港町を回り込んで埠頭に向かう。

 

港発電所の集合型の煙突はまだ紅白の時代。このあと、白、緑、グレーに塗装された。三池港周辺の映像に新港町社宅が入っていないことは残念。


偽札が船に積み込まれようとしている。

 

※現在は半分より北側の埠頭は福岡県の公共埠頭となっているが、当時はまだ三井鉱山の私有の埠頭であった。この頃、三池港が世界遺産候補になるとは夢にも思っていなかった。


さあ犯人グループを撲滅せよ。

 

※船には「SUNDA CAREER」の文字。「SUNDA」はスンダ海峡のような地名を表していると思われるが、この貨物船の正体は確認していない。


クレーンを遮蔽物にして銃撃戦。団長のライフルが火を吹く。

三池港で軍団に射殺された犯人グループは2名。

 

※この前後のシーンでは、クレーン脚部がどのような構造になっているか見ることができる。


接近戦になって、松田刑事(寺尾聰)は素手で犯人グループの一人と殴りあう。この男は、殴られた拍子に海に落ちる。射殺主義の軍団にしては珍しく、三池港の銃撃戦では3名を生け捕りにした。

 

※殴り合いよりも、バックの新四山坑の櫓に目が行く。


不利になった犯人グループは逃走する。サングラス男(コンバットの「サンダース軍曹」のような下士官的存在)の目の前に炭鉱電車が通りかかる。

 

※ジーメンス製B20t電気機関車2号車が石炭車を引いて登場。現在、この機関車は現役を引退し、部品取り車となって宮浦操車場近くに置いてある。


「サンダース軍曹」は石炭車の中に入り、追っ手をやり過ごす。

 

※この石炭車は17t積みのセナ型(国鉄のセラ型)。三池炭鉱末期の鉄道運炭の主力であった。この映像で、セナの内部の構造をうかがい知ることできる。


犯人グループの「全員撤退せよ」との指令を傍受。発信元は東南東5kmの三井グリーンランドと判明。

 

※地元の視聴者は「おお!グリーンランドだってよ」と快哉を上げた。


場面は変わって三井グリーンランド。軍団は車とヘリで向かっている。

 

※当時、グリーンランドは三井経営だったので、ドラマの中では正しく「三井グリーンランド」と呼んでいる。もともとぶどう畑があったところで、焼き物小屋(窯があった)と池のボートからスタートした憩いの場だった。この頃には、敷地が拡張され、遊具の集積が進み、レジャーランドとなっていた。ロープウエイがあったのは一時期で、既に撤去されている。


八名信夫が扮する犯人グループの司令官(コンバットで云えば「ヘンリー少尉」)、三池港銃撃戦から帰還した「サンダース軍曹」他、残党がグリーンランドに集結。「サツに無線を読まれた。今度はこちらが無線を利用する番だ。」

 

※この後、八名信夫は悪役商会を結成。コート、サングラス、つば付き帽子はこの時代の悪役スタイルの三種の神器、悪役のスタンダードであった。


先頭はマシンX(スカイラインジャパン)。3台の車はグリーンランドへ急ぐ。

 

※画像の場所は大谷駅付近。軍団の地上部隊は三池港から宮内のルートを通り、平井駅の交差点を北上し成田山側のゲートに向かった。この頃、大牟田からグリーンランドに行くときには桜町、倉掛の狭い道を通っていた。それでは絵にならなかったのだろう。前と後ろの自転車はエキストラではなく、通りすがりの地元の人と思われる。いい味を出している。


団長はヘリでグリーンランドに到着。

 

※右奥は成田山側の駐車場。当時のグリーンランドのレイアウトがわかる。わずかに見えている一回転するジェットコースターは、当時としては、絶叫マシーンであり、売店には、失禁する人のために、パンツが売ってあったという都市伝説がある。

これより南側は、三池鉄道を廃止した後に拡張し、現在の正面ゲート、駐車場が整備された。


団長は狙撃用のライフルを手に、やる気満々。

《次回に続く》

 

※団長の愛用はガングリップのショットガンというイメージが強いが、大牟田・荒尾で使用したのはスコープ付のライフル銃。命中率を重視したのか。

 

 

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