北の櫓と南の櫓
北海道の炭鉱は、1874年(明治7年)に、アメリカのベンジャミン・スミス・ライマンが大規模な炭層を予測したことに始まります。三池の石炭の歴史は、1469年(文明元年)、伝治左衛門による「燃える石」の発見から始まったので、約400年遅れということになります。
三池は江戸時代より、藩営で採炭していましたが、大規模な施設を導入し、生産を増強したのは明治以降、海外の技術を取り入れた後です。つまり、我が国の近代化を石炭で支えたという意味においては、三池も
昨夏、北海道を旅してきました。北海道に現存する立坑の櫓は、三池の櫓と酷似しています。北海道の炭鉱のほんの一部の櫓ではありますが、三池の櫓と並べて見てみたいと思います。
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住友奔別鉱立坑櫓
住友石炭鉱業竃z別鉱業所の櫓です。威風堂々とした姿で、
これに似た架構は他にもありますが、スキップケージ式と呼ばれるの巻き上げ方式は住友に使われているようです。鉱業所の施設は、現在も別の企業に使用されていますが、この櫓は採炭が行われていた時の姿のまま残されています。鉄骨の錆が進行しているのが気になります。
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三井三池新四山坑櫓
もともと筑豊の伊加利坑にあった櫓で、閉山後、三池、沖坑(新四山坑)に移設されました。三池閉山後、部材の一部は筑豊に里帰りしたとのことです。I型の架構は奔別鉱業所の櫓とよく似ていますが、巻き上げ機の個数と位置が異なります。三井の北海道の鉱業所にもよく似た櫓があります。
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北炭夕張鉱立坑櫓
北海道炭礦汽船蒲[張鉱跡地は、現在、石炭の歴史村となっていますが、その模擬坑道に通じる立坑櫓です。横から見た形がアルファベットのZに似ていたので(数字の7にも似ていますが)、小生はZ型と呼んでいました。支柱の勾配方向に巻き上げ室が配置され、ケージの荷重と支点との力学的バランスを取るために櫓の勾配がつけられています。
三井三池有明坑一坑櫓
有明坑は大牟田の近代化遺産でも取り扱いがされておらず、資料集めに大変苦労しますが、こちらが一坑だったと思います。日鉄鉱業時代の昭和42年完成。スケールは三池のほうがふたまわり大きく見えます。右側の建屋に巻き上げワイヤーがつながっていました。今は鉄骨の架構のみになっていますが、現役時代はたくましい姿でした。
この櫓のスペックは不明なので、「大牟田の近代化遺産」で紹介していただくことに期待します。
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北炭幌内炭鉱立坑櫓
この櫓は柱が4本あって台形型になっているので、合掌型と言われているそうです。小生は勝手にA型と呼んでいました。
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三井三池有明坑二坑櫓
有明坑は大牟田の近代化遺産でも取り扱いがされておらず、資料集めに大変苦労しますが、こちらは二坑だったと思います。昭和42年完成。このタイプも、三池のほうが大きく出来ています。これも現役時代はもっと筋肉質でした。ドイツの立坑によく見られる形式です。
現存する万田坑、宮原坑の櫓は、巻き上げ室が分離した合掌型になるのかもしれません。構造上はこれら三池の櫓は細形の台形で、巻き上げの力がかかる方向に頬杖のような補強が入っていますが、合掌型の定義が『4本支柱で台形』であればこれに該当します。(櫓形式の分類は大牟田の近代化遺産学会に委ねたいと思います)
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以上、少数でありますが北と櫓と南の櫓の似たもの同士を掲載しました。北海道の調査は限られた時間だったので、研究は完全に不足しています。
勝手にリンクを張らせていただいておりますが、下のURLにもっと詳しい研究がされていますのでご覧下さい。
参考リンク→炭鉱(炭坑)の写真
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