社宅見学会

--2 通松社宅・紅葉ヶ丘社宅・宮前社宅

 

この3社宅は一団の社宅地区を形成しており、勝立坑が操業していた頃から土地利用がされていた。

講堂、クラブ、保育園などの施設もここに集中しており、勝立社宅地区の公共機能の中心であった。棟高が高い講堂は、立派な木造建築で、演芸会、映画上映などにも使われていた。クラブも4棟あった。


通り松社宅・紅葉ヶ丘社宅・宮前社宅

 

その南側には売店(三池商事)と配給所があり、大砂方面から旧道沿いに並ぶ個人の売店、露店とともに商業の中心地となっていた。

通松社宅の丘の上にあった浴場はこの3社宅で使われており、一般的な浴場と異なり、600戸以上を賄う大きな浴場であった。

現在の勝立団地第1公園の場所には勝立人事があった。石炭の大きな社宅にはこのような労務管理を目的とした事務所が置かれ、労働者が体調不良で休むときなどは、この事務所に届け出ていた。個人の家に電話が普及していない時代の労務管理の方法であった。

紅葉ヶ丘、宮前の社宅名は管理するうえで付けられたもので、小字名とは一致しない。宮前は、かつては「みやのまえ」と呼ばれていて(「宮ノ前」と表記することもある。)、通松付近に置かれていた山の神神社が昭和初期に北側の山林に移されて以降の名称である。

戦前より東側に青年寮があったが、昭和30年代半ば頃に解体された。

勝立市営住宅、道路築造で大半が解体されたが、事業区域に入らない部分が残っていたが平成7年(1995年)頃までに全て解体された。


通松社宅(平成2年 丘側より)


紅葉ヶ丘社宅(左)、宮前社宅(右)、手前は朝日ヶ丘社宅、緑屋根は講堂(平成3年)


紅葉ヶ丘社宅22棟(平成2年)


宮前社宅66棟(平成3年)


勝立クラブ(南側の棟 平成3年)


勝立クラブ(北側の棟 平成3年)

 

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