社宅見学会

--3 朝日ヶ丘社宅・月見ヶ丘社宅

 

大正期以前、旧道より南側はごく一部を宅地化するに留まっていたが、昭和初期より、本格的に宅地の造成が始まった。

社宅の整備により、東が朝日、西が月見という名称とされた。平家2戸並びを基本としていたが、月見ヶ丘には5戸並びも建てられていた。


朝日ヶ丘社宅・月見ヶ丘社宅

戦後の人口流入期には東側(朝日ヶ丘128棟から148棟)に39戸が増築された。月見ヶ丘の1棟付近は県道の整備に当たっており、棟数及び配列が変わっている。

朝日ヶ丘社宅には3棟並びの木造アパート(朝日ヶ丘アパート)があったが、昭和40年代の終わりに月見ヶ丘5戸並び(現在の「最高の湯」付近)とともに解体された。

その後、徐々に解体されながら、両社宅とも平成まで存在していたが、閉山後、まもなく全ての社宅が解体された。

なお、朝日ヶ丘の当番号は浴場の南側の40棟から始まっていた。1棟から39棟はどこにあるのか。一瞬、朝日ヶ丘アパートとの関係かと思ったが、どうも釈然としない。一つの仮説としては、月見ヶ丘社宅と連たんしいている部分、丘の上の2戸並びの18から42棟、5戸並びの49棟から63棟の計39戸からの続きで、後に再編成されたということも考えた。しかし、真相にはたどり着いていない。事情をご存知の方はご教示いただきたい。事情をご存知の方はご教示いただきたい。

 


朝日ヶ丘社宅58棟付近(平成6年)


朝日ヶ丘社宅101棟付近(平成6年)


月見ヶ丘社宅42棟付近


月見ヶ丘社宅117棟付近(平成4年)


朝日ヶ丘・月見ヶ丘平家2戸並び平面図

 

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