社宅見学会

--1 大砂社宅

 

大砂社宅は、通松社宅以東と谷で分断されており、旧道、大牟田川付近に平家建て、北側の丘に上ると三井病院の分院と浴場、2階建ての長屋が建っていた。さらに奥に上れば平家2戸並びの職員住宅があった。


大砂社宅

 

大半が戦前からあった社宅であるが、戦時中に取り壊された社宅の跡地や余剰地に、戦後、平家2戸並びの社宅が増築された。

分院は他地区の分院同様、昭和40年代の終わりごろに解体されている。

現在では、大牟田市による開発で、旧道と旧大牟田川に挟まれた地区は勝立団地第2公園、丘の地区は敷地が拡張されて勝立工業団地が整備されている。

余談になるが、勝立工業団地の造成の際、大砂社宅の東側の山林からきれいな白い骨が出てきて、囚人労働者のものだろう、となった。大砂社宅は昭和初期に整備される以前は山林だった。その山林の中に明治21年に建立された解脱塔があったが、放置されてうっそうとしていたため、平成7年、再整備され、出土した人骨とともに供養された。この囚人労働の話は郷土史家の石川保さん(故人)より懇切丁寧にお話をうかがった。その中で、大砂は「おおさこ」が正しい、鉱山の担当者が誤って読んだことが現在に続いている、と力説されていた。

しかし、残念ながら、今もって「おおさこしゃたく」に改められる様子はない。

 


昭和50年代の大砂社宅(石川保氏撮影)


空き家になって放置された大砂社宅(昭和62年 石川保氏撮影)


再整備された解脱塔(平成14年撮影)

 

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