社宅見学会

-4 野添社宅

 

野添社宅は臼井社宅よりやや遅れて昭和14年(1939年)より建設に着手し、昭和19年(1944年)頃までに中央通り沿いの106棟まで建てられた。戦時中に5戸並び3棟が解体され、戦後は、解体された5戸並び跡地の96棟及び97棟、社宅地区の南東側107棟以降の2戸並びが増築された。その時に当番号の打ち直しが行われている。


野添社宅

 

昭和37年の時点で359戸。三川坑(北側)及び宮浦坑(南側)に勤務する鉱員用の社宅であった。昭和31年に笹原止まりであった上官方面からのバスが社宅まで乗り入れ「野添行き」となり、大牟田市の中心部との往来の便が高まった。

社宅事務所、保育園、浴場などの施設があったが、社宅事務所と保育園は昭和30年代後半に臼井保育園に統合、保育所跡は西側74棟社宅入口付近にあった野添派出所が移転、設置された。

臼井社宅と同じく2Kまたは3Kの5戸並びと2戸並びの長屋を基本としていた。濡れ縁を通って便所に行く造りであったが、昭和50年代頃から入居世帯のいる社宅について洗面所の増設工事が行われ、室内の経路で便所に行けるようになった。

解体の流れは臼井社宅と同様であり、平成7年(1995年)頃にまとまった解体が行われ、閉山後間もなく、全ての社宅が解体された。

跡地は、一部にグループホームが建てられたが、臼井社宅跡と一体的な太陽光発電所となっている。


野添社宅南側より 左85棟 右100棟 右の煙突は浴場(平成7年)


東側の臼井原からの全景 左の煙突は浴場(平成7年)


5戸並び94棟 モルタル腰壁部分は増築された洗面所(平成7年)


2戸並び 60棟(平成7年)


2K5戸並び図面 便所横の赤枠部分に洗面所増築


野添駐在所 昭和40年代後半頃から東隣がバスの転回場とされた(平成17年)

 

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