社宅見学会

-5 小浜北社宅

 

三川坑は昭和14年(1939年)に貫通、翌年竣工したが、それまでの坑口のように、隣接地に社宅用地を確保することができなかったため、離れた土地に社宅を建設した。小浜北社宅は小浜開と呼ばれる干拓地に整備された鉱員用社宅である。

 


小浜北社宅

 

小浜開は明治14年(1881年)に完工した。一般的には干拓地は農地として利用され、建物の敷地とするのは埋立地であるが、昭和初期には旧大牟田市の市街地は飽和状態となっており、小川開は宅地化していく。

小浜北社宅は、昭和14年、昭和初期まで競馬場として使われていた土地に、2期に分けて(7月竣工10棟、11月竣工11戸)整備された。

小浜北社宅自体は21100戸と規模はそれほど大きくはない。しかし、現福岡県大牟田総合庁舎より南側の堤防沿いの地区は、北から電気化学工業鰍フ小浜北社宅、三井鉱山鰍フ小浜北社宅、電気化学工業鰍フ小浜南社宅、九州火力発電鰍フ小浜町社宅、三井鉱山鰍フ小浜南社宅と、戦前までに約1,000戸の三井系事業所の社宅地区を形成していた。(社名はいずれも当時)

社宅の形式は、三池鉱業所で戦前に多く建てられた2階建て5戸並びを基本としている。

昭和50年代半ば頃に浴場が休止となった。石炭の社宅では、浴場を廃止する場合は、隣接する社宅の浴場との統合、または、入居している家屋のみにではあるが、1坪程度の専用浴室の増築が行われている。小浜北、南社宅においては縁側に浴室の増築が行われた。

昭和62年(1987年)敷地の北東の4棟を解体し、東側の筋向いにあった三池商事(サンショーファミリー)の移転、建設が行われた。

小浜北社宅は閉山まで使用された社宅であり、閉山直前の平成8年で、1782戸、うち入居戸数は47戸であった。

閉山後、小浜南市営住宅に社宅入居者が移転した後、跡地に県営小浜第二団地が整備された。

 


小浜北社宅(旧堤防より 平成7年)


2階建て5戸並び社宅図面(赤枠部分に専用浴室を増築)


昭和14年新築の小浜北社宅共同浴場平面図(昭和40年頃)

 

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