社宅見学会
1-9 長溝社宅
町名の長溝町は七夕社宅の南側の地区を指すが、もともとの小字の長溝はこの社宅付近の呼び名であった。
字界は長溝社宅と七夕社宅の間の道路付近で(厳密には昔の田畑の区画)で分かれており、長溝社宅は三池小学校、七夕社宅は白川小学校校区、つまり、旧三池町と旧銀水村の境にあった。
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長溝社宅(白っぽい屋根がブロック・コンクリート造) |
長溝社宅は、七夕社宅の完成後の昭和23年(1948年)より、木造平家の2戸並びが建てられた。昭和32年(1957年)から33年にかけて、補強コンクリートブロック造平家2戸並び及び鉄筋コンクリート造2階建て2戸並びが建てられた。
昭和37年(1962年)の時点で、木造平家28棟55戸、補強コンクリートブロック造平家15棟30戸、鉄筋コンクリート造2階建て25棟50戸、合計67棟134戸となっている。
木造社宅は2種類あったが、いずれも間取りは3Kであった。ブロック造の平家は他の社宅にはない形式であった。鉄筋コンクリート2階建ては妻入りと平入りの2パターンがあり、サーモコンクリート(発泡剤を混入した軽量コンクリート)が使用されていた。
建設当初は木造だけであったから、1棟から28棟までの棟番号が付されていたが、ブロック造の完成後に43棟までの棟番号が付け直された。鉄筋コンクリート造は5級社宅(職員社宅)であったため、100番台の棟番号が付された。
晩年はブロック造、コンクリート造の社宅に入居者が集められ、木造はほぼ空き家となっていた。
閉山直前の平成8年(1996年)の残存戸数は、木造3棟6戸、ブロック造及び鉄筋コンクリート造は建設当初の40棟80戸、入居戸数は45戸であった。
閉山後、しばらく管理されていたが、平成11年(1999年)に全ての社宅が解体された。
令和3年時点では、敷地西側が宅地分譲されたが、東側の土地利用は進んでいない。
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旧三池商事付近 奥に白坑型2階建て社宅が見える(平成7年) |
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妻側に勝手口を備えた木造社宅36棟 2戸並びの奥は新労集会所として使われていた(平成7年) |
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ブロック造平家29棟(平成7年) |
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鉄筋コンクリート造2階建て103棟(平成7年) |
長溝社宅は隣接する七夕社宅と浴場、三池商事七夕販売所、七夕配給所、七夕幼稚園などの施設を共有していた。
共同浴場は、鉱員社宅に専用風呂が増築された後、昭和60年(1985年)頃に解体された。
三池商事七夕販売所は昭和63年(1988年)に七夕診療所跡にサンショーファミリー七夕店として新築移転した。
七夕配給所は平成4年(1992年)に閉鎖された。
七夕幼稚園は、隣接する七夕社宅が廃止された昭和40年代半ば頃に廃止され、建物は社宅の事務所として使われていた。
表通りの七夕診療所も同時期に廃止され、診療所の木造建物はサンショーファミリーが建設されるまで民間の事務所として使われていた。
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配給所跡の建物(平成7年) 告知板「平成四年九月末日を以って当七夕配給所を閉鎖します。 三池鉱業所」 |
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