E語り継がれる都市伝説〜エピローグに代えて

 

荒尾の集客施設、グリーンランドは昭和41724日、「アメリカンスタイルの純粋な自然公園」をコンセプトに開園した。

当時、クレバ圏の中心都市、大牟田は光化学スモッグ、大牟田川のヘドロなど、今思えばぞっとするような公害のまちであった。

そのような地域の事情からも、荒尾でのグリーンランドの整備には「新産業都市のオアシスづくり」という狙いがあった。

初期の頃の施設は、焼物窯、果樹園、ボート・・・。三池炭鉱を引退した蒸気機関車で遊ぶのも楽しかった。

ジェットコースターやロープウエイが設置された昭和40年代の後半頃から、機械的な遊具が徐々に増えてきたと記憶している。

昭和50年代の半ば、宙返りの軌道を描くループコースターが設置された。これは衝撃であった。真相は不明であるが、失禁した人のために園内の売店に下着が売ってあるという話が都市伝説となっていた。

その後、西部警察のロケ、南こうせつのオールナイトのコンサートなどの話題性のある催事も開催され、全国に名を馳せる大遊園地となっていった。

今夏、久しぶりにグリーンランドに行った。

高いところから落下したり、きりもみしながら爆走したりする、絶叫系と呼ばれる乗り物が多くなっていた。

しかし、強烈な加速を誇る鉄馬で百戦錬磨の和尚にとって、こんな乗り物は乳母車に等しい。鼻歌交じりで乗り込んだ。

乗り物が地上に戻った後、係員に尋ねた。

「園内に下着は売ってないか。」…

それにしても、クレバに日記を連載したおかげで、望嶽庵和尚は人気者になった。

グリーンランドでもそうだったが、どこに行っても「あいつだ!」と指をさされる。

アイドルの握手会での事件のように「人でなし!」と叫び、殴りかかってくる輩もいる。

警察官からは「お前はクレバ圏に出没する不審者だな。ニセ白バイも創っただろう。多くの人がお前にハメられている。本官もクレバは毎号かかさず見ているんだぞ!」とあらぬ疑いをかけられ追い回されたこともある。

このようなファンの厚情には心より感謝しているが、この過熱した人気を冷ますために、しばらく筆を休めることにした。

勿論、鉄馬でのクレバ圏域の宝物めぐりは止めない。そこでの人との出会いも楽しみだ。

♪電光石火の早業で 今日も走らすオートバイ・・・♪

望嶽庵和尚は、鉄馬界の永遠の英雄、月光仮面の歌を口ずさみながら、今日も鉄馬とともに走り回るのであった。

【有明地域生活情報誌 クレバ60号(2014.10.05発行)掲載】

参考ページ『西部警察に見る大牟田・荒尾の昭和55年』へ

昭和50年のグリーンランドのレイアウトは掲示板2013/03/27のスレッドで

 

 



東側(ホテルヴェルデ側)入口前

三池鉄道を退役した機関車で遊ぶ子どもたち(昭和49年)


平成8年頃のグリーンランド(右側にアジアパーク、ウルトラマンランドが見える)

 

 


 

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