後記

 

鉄馬日記の脱稿にあたり、高名な方に解説文をいただきたいところであるが、「戯作」と呼ぶにも値しないコラムなので自身で各号のエピソードを書き、後記とする。

このコラムは以下を基本として書くこととした。

望嶽庵和尚は、昨日どころか今言ったことも忘れるほどの無責任。人に迷惑をかけていることもわかっていない能天気。

サラリーマン社会では上司の無責任な発言に翻弄されることも多く、小生も先輩から「そんなこと言ったっけ」「俺は知らん」とよく言われた。そのような辛い経験から生まれたキャラクターである。

そして、執筆にあたっては

@クレバ圏各地に出向くこと

A昭和の歌を入れること

を各号共通のテーマとした。

クレバの読者の年齢層は意外と高めとのことだったので、同級生と会話する感覚で書いた。

 

■55号■

プロローグであり導入の回なのでとりあえず真面目な話にした。

「モーリス持てばスーパースターも夢じゃない」は、深夜ラジオで流れていたこのCMを知っている人に同年代と知らしめるメッセージである。この回でわからなくても、以降のオヤジギャグを見れば容易に年齢がわかるだろう。

クレバ圏行脚の第一弾として柳川のことを書いた。54号で柳川の特集記事があったので、ちょうどよかった。

柳川の知人は常々「柳川はうどんがうまい。」と自慢している。柳川では毎回うなぎ、というわけにはいかないが、うどんなら毎回食べられる。で、風呂にでも入って帰ってくるとさっぱりする。鉄馬だから、湯上り後は風にさらされて帰るので、寒中や湿気が身体にまとわりつく季節は厳しいが・・・。

紙面の関係で書かなかったが温水プールもある。ここで1時間くらいかけて1.5kmを泳ぐ。結構いい運動になる。

さらに、先日、何十年ぶりの川下りをしてきた。今は結婚した新郎新婦を乗せて披露宴会場まで向かう花嫁舟もある。

沿岸道路のおかげで柳川が身近になった。逆のパターンで、柳川方面の人には大牟田で楽しんで欲しい。

「この道」は柳川出身の北原白秋の名作。これを30年前にロック仕立てにしたのがめんたいロックの草分けシーナ&ロケッツ。作曲した山田耕筰も納得の出来だと思う。炭坑節もロック、パラパラアレンジがあるので、柳川のまちおこしに使えるのではないかと思う。

 


 

■56号■

少し前に「島鉄高速船の廃止か?」というニュースが流れた。これはいかん、と思い、高速船に乗っておから研究室の「島原航路のこと」を書いた。本文はそのときの見聞によるものである。

高速船の収支はその後も改善されず、平成27127日の有明新報によると、4月から長崎市のやまさ海運鰍ノ経営譲渡されることになった。経営譲渡されても事業としての採算性の確保は難しいと思う。

油の匂をさせて海の上を爆走する高速船は、乗り物としては至極楽しい。しかし、交通手段としてはニーズから遠いのであろう。

島鉄も高速船ほどではないが久しぶりだった。昔乗っていた頃の車両は、乗るとき自分で片引きのドアを開け、閉まるときは自動、というものだった。それから見れば、色も黄色となりハイカラ、近代化していた。

「愛国から幸福行き」が流行った頃、島鉄の「愛野⇔吾妻」(愛しのわが妻)もちょっとしたブームになっていた。その後、本諫早の手前に幸という駅が開業したが、これはワザとらしくて面白くないと思った。

全く関係ないが、先日、昔の記念キーホルダーを見ていると、日光の観光記念で「幸福行き」の切符を形どったものがあった。恐ろしく強引だが、「日光→宇都宮→青森→函館→幸福」と書かれている。これがまかり通るなら、「西鹿児島から幸福へ(西鹿児島→門司→東京→上野→幸福)」、「ケープタウンから幸福へ(ケープタウン→シンガポール→横浜→函館→幸福)」なんぞもできる。芹洋子の歌もいろいろ替えて歌えるだろう。

 


 

■57号■

この号の原稿を書く時期は非常に忙しく全く身動きが取れなかった。だからこの号だけはクレバ圏のどこかに出向いたときの記事にはなっていない。

それで、少し前に白バイを作ったときのことを書いた。

同時期にTBSのテレビドラマ「クロコーチ」で三億円事件が扱われていたが、全くの偶然であり、ドラマに触発されたのではない。しかもこのドラマに出てきた白バイはどこから見ても「ニセモノ以下」だった。

GB250の警察用の白バイは生産されていないので、その筋の人が見れば本物ではないとわかるだろうが、本当によくできた「超本物」。

回転灯を回して公道を走ったり、車体に「○○県警」などど書いて公道に出たりしたらアウトなので、「個人の敷地で超本物の白バイを作っただけ」、「白いバイクで公道を走っただけ」という範囲で留めている。

しかし、よくクレバ編集部の方はこの記事の掲載を許してくれた。誰もが冗談とわかる記事だからと思うが、「ニセ白バイを作った」とか「ニセパトカーを作った」とかは下手すると犯罪行為である。望嶽庵が創ったのは超本物でありニセモノではないが、クレバ編集部の懐の広さを感じた。

さて、既に愛馬は次のバージョンに改造しており白バイではない。しかし、それほど手間をかけずに白バイに戻せる。子ども用の白バイ隊員コスチューム(本文の壱号機参照)もあるので、イベント等で記念撮影用として必要な場合は連絡をいただければ出動可。

なお、本文中に出てくる「民明書房」は漫画「魁!!男塾(宮下あきら)」に出てくる解説本。「わしが江田島である!」という同世代の方に向けたメッセージである。

 


 

■58号■

この号は銀水駅の近くで英国人の友人と会ったときのことを題材に書いた。

小生は銀水駅には用がなくても行く銀水駅オタクである。

過日、大牟田市役所の主査主任会がおおむたの宝物100選の追加募集をしていたので、銀水駅を望嶽庵の推薦至宝として提出した。しかし、あっさりと予選落ち。決選投票にも残れなかった。

今後、銀水駅のような木造の駅舎は造られることはないだろうし、無駄に長いプラットホームも不要とされるだろう。いつかこの価値観を市民と共有できたら嬉しい。それまで何としても残っていてもらいたい。

ところで、銀水駅発行の硬券は我が家の家宝となっている。しかも昭和最後の日、昭和6417日の切符。この日は、東京勤務で長い正月休みを取って帰省していた。昭和天皇の崩御の知らせに、何か昭和の記念にと思い、銀水駅の切符を買いに行った。

硬券から磁気乗車券へ、さらにICカードへ、切符のデジタル化が進む中、銀水駅は硬券でも販売してアナログを深化してもらいたい。

先日の新聞によると、JR九州は株式上場に向けた経営の効率化の一環として、駅の無人化を進めるとのこと。大牟田では銀水駅、吉野駅がターゲットになっているそうだ。事情が許せば銀水駅の住み込みの管理人になりたい。HP有明望嶽庵はインターネット茶屋であるが、銀水駅を実物版の望嶽庵にして余生を過ごすことを夢見ている。

 


 

■59号■

正勝寺を中心とする明治十年の役の史跡は小生が大変好む場所である。

ここらは南関の古くからの中心街で、南関町が観光の目玉としてPRしている豊前街道南関御茶屋跡、少し前に造られた温泉施設「南の関うから館」も近くにある。

南関町以南には、明治十年の役の戦跡は結構あるのだが、地元ではそれほどメジャーではない。しかし、ファンとしては観光地化されるのは望むところでもない。本文で紹介した城ノ原官軍墓地は滅多に訪れる人もなく、周辺の史跡の中でも最高の雰囲気である。林の中にあるパワースポットのようだ。

迂回すれば車で行くことができるが、小生は正勝寺の裏から徒歩で墓地まで登ることとしている。結構いい運動になる。

さらに、墓地のある丘をくり抜いた松風洞というトンネルもいい。以前よりトンネルの照明は増えたような気がするが、夜は一人で行けないくらい怖い。血まみれの官軍兵士を見たとか、首のない武者が歩いてきたとかいう噂があった。

本当はこの怖いトンネルとセットにしてコラムを書きたかったが紙面に制限があり断念した。

興味のある方には、丑三つ時に一人で行くことを薦める。きっと一晩で白髪になるだろう。

 


 

■60号■

荒尾のグリーンランドは一企業の所有物という枠を超えて、もはや地域の観光の中核的施設になっている。この号は「私企業のPR」という誤解を恐れず書かせてもらった。掲載していただいたクレバ編集部に感謝する。

グリーンランドは当初のほのぼのとした公園から大遊園地へと変貌した。石炭とは全く関係ない三井鉱山グループの多角化だったが、可処分所得の増大、車社会の進展を背景に見事にヒットしたと思う。

平成17年に三井から西部ガスに株式が譲渡されるが、その後も変わらず、九州で最も集客力のある遊園地として続いている。

後半は大脱走のラストシーンをイメージして書いた。脱走に失敗し収容所に戻ってきたスティーブ・マックイーン演じるヒルツ大尉は4度めの独房に入れられる。独房から壁にボールを投げつける音が聞こえてきて物語は終わるが、50名も虐殺された悲劇にもかかわらず、ヒルツはまた必ず何かやるという期待を持たせるエンディングだった。

画像ではよくわからなかったかもしれないが、連載終了に合わせ、愛馬を新しいバージョンに改造した。新しくなった愛馬でクレバ圏を懲りずに走り回る・・・和尚の日記は「to be continued」で、まだまだ続くのである。

クレバ編集部のH田さんから「爽快な終わり方」と評していただき、大変嬉しかった。

 


 

おわりに 〜謝辞〜

望嶽庵和尚のざれごとに不満も言わずにお付き合いいただきましたクレバ編集部のH田さん、大変お世話になりました。

クレバの表紙を描いていらっしゃるまほべさん。まほべさんの絵は楽しくて元気をもらえます。サインありがとうございました。銀水駅の硬券と並ぶ、我が家の家法とします。

じじき博士、マニアにしかわからない話を解説なしでビシビシと書かれることを楽しみにしております。あとをよろしく頼みます。

望嶽庵和尚の日記は趣味性の強い内容でしたが、読者の皆さんのひと時の心のオアシスなれば望外の幸せです。

今後とも有明望嶽庵をよろしくお願いします。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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