文化都市の路面電車

V.現在も残る路面電車の足跡

 

現在の大牟田のまちにも、路面電車の足跡が残っています。

旭町・五月橋間の路面電車の廃止を受け、五月橋以北の道路幅員は40mから33mに変更されました。減じられた7mが路面電車分ということになります。自動車を運転される方はわかると思いますが、築町方面から北上し五月橋を渡ると、車線数はそれまでと同じ3車線ですが、狭くなった感じがします。

 



路面電車の廃止により33mの幅員で整備された旭町付近の国道

40mの幅員で整備された不知火町付近の国道

 

これは、昭和26年の旭町・五月橋間の廃止を体

三河川尻電停

 
感しているものです。逆に路面電車が「休止」のまま進められた五月橋から大牟田文化会館までの国道は市内で最大幅の通りとなっており、余裕のある通行ができます。これは、予定されていた路面電車の軌道が整備されなかったことによるものです。

 


 

旭町の国道と線路の間の道路は、三池鉄道と立体交差になっており、ここに煉瓦の橋脚があります。(イ)区画整理でまちの形は変わりましたが、旧県道が三池鉄道と交差していたこの位置は変わっていません。路面電車は、ここをくぐって走っていました。

 


不知火町から現在の国道389号線まで、軌道は旧県道を離れ、複線の専用軌道を走ります。路面電車の廃止後、このあたりの軌道跡地は線形を保ったまま分譲されていますので、現在も軌道の跡がはっきりとわかります。(ロ)

 


 


路面電車は現在の不知火町3丁目から本町6丁目にかけて、鹿児島本線を渡ります。(ハ)ここが大牟田の路面電車の工事で最大の難所でした。鹿児島本線の軌道は橋梁で立体交差となりますが、その前後は盛土で斜路が造られました。その斜路に使う土は、坊主山の裾野を削って調達されました。残土運搬の効率性を確保するため、線路を横断せずに白金陸橋の東西それぞれの土が削られ、それぞれの斜路に盛られました。西側で土取りが行われた場所には、大牟田電気軌道の事務所と電車の車庫が置かれました。現在では西鉄大牟田営業所になっていますが、路面電車の斜路の工事のときに削られたあとの地形が今も残っています。(ニ)

 



(ハ)鹿児島本線と路面電車の立体交差

(ニ)路面電車の工事前は坊主山の裾野であった大牟田電気軌道本社・電車車庫跡(現西鉄大牟田営業所)

 

国道389号の白金町、冨士タクシー前は、現在の西鉄大牟田営業所方面から諏訪神社前に軌道が走っていたため、直角交差とならず、変則交差となっています。これは、軌道敷設が先に行われ、大正町から県境までの十三間道路はその後に整備されたためにこの形状になったもので、現在、注意喚起のためのガードレールが設置されています。(ホ)

 


 

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