文化都市の路面電車
T.文化都市へ発車
わが国の路面電車は、明治28年、
炭鉱の発展により都市化が進んだ大牟田でも、大正中期になると路面電車整備の機運が高まり、大正11年、大牟田電気軌道が設立されました。そして、昭和2年12月、
当時のまちの状況を見てみますと、大牟田側では、藩営炭山時代からの形成されていた五月橋周辺の市街地が鉄道の開通とともに南に広がり、
一方、
しかし、大牟田と三川の市街地は連なっておらず、その間は閑散としていました。庶民が三川から大牟田に行くためには、2km弱離れた荒尾駅から汽車に乗るか、3kmほどの道のりを歩くしかありませんでした。そこに路面電車が登場しました。両市街地が軌道で結ばれ、庶民の移動の利便性は一気に向上しました。大牟田は産業面においては近代化の最先端を走っていましたが、路面電車の開通は、庶民が日常生活というレベルで近代化を肌で感じた出来事でした。路面電車で距離が縮まった
有明新報によると、平成23(2011)年2月12日、三池高校で講演された東京大学名誉教授の松尾浩也さん(
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