大牟田・荒尾の消防署

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平成263月竣工の大牟田市の消防署。(以下、建物のことなので消防庁舎と呼ぶ)旧庁舎の解体後、敷地北側の部分に車庫棟が整備される。(平成2610月完成予定)平成265月現在、消防自動車は屋根なしの駐車スペースで、救急車は仮設テントの下で待機している。

パース

全体のパース(完成予想図)

新旧

昭和354月に開設した消防庁舎(鉄筋コンクリート造3階建て)とのツーショット。旧庁舎は既に解体されている。下の木造時代の庁舎の画像とほぼ同位置より撮影。

消防章

大牟田市の消防庁舎は消防章を目立つ位置に取り付けている。旧庁舎では当初、壁埋込の時計があった場所に消防章が取り付けられた。消防章は全国的に六角形を基本としたデザインであるが、各地の消防署の消防章を見ると細部が異なっている場合がある。大牟田市は独自に設定、告示はしていない模様。(消防庁のものに準じていると思われる)

昭和35広報

昭和35910日の市政だより。昭和30年代、百尺望楼、無線設備、庁舎、はしご車などにより、消防力は飛躍的に向上した。人口が20万人を超えていた時代、大牟田市の勢いを示すものでもあった。

消防庁木造

昭和20616日開設の初代消防庁舎。手前側に木造の望楼がある。この庁舎が建てられた頃、消防は警察署の内部組織であり、庁舎開設以前は警察署内で事務を行っていた。昭和4年建設の警察署には望楼を備えていた。

浄真町一帯は戦前の区画整理で開発された宅地であるが、これ以南は「キツネが出る」と言われるような寂しい地区であった。したがって、当時、この場所はまちから遠い場所というイメージが強かった。建設場所の選定にあたっては、初期消火は出張所(今よりも数が多かった)に任せるにしても合併した三川町を含む市域全体をカバーすること、円滑に鉄道を越え東西の火災に対応することなどが課題とされた。その結果、既に架けられていた川尻橋を渡り裁判所前に至るルートが活用できる現地となった。

開設の2日後、大牟田は焼夷弾攻撃を受ける。さらに7月にも大規模な焼夷弾攻撃を受け、市内は焼け野原になったが、消防署は難を免れた。

庁舎を使いながら建て替えが行われたので、昭和35年の旧庁舎の完成後に解体された。跡地はバレーコートとして使われていた記憶がある。今回の新庁舎は、旧庁舎を使いながらこの木造庁舎跡に整備された。

荒尾新

平成263月完成の荒尾市宮内の消防署。荒尾では昭和26年に市の消防署が開設されたが、昭和47年に荒尾玉名地区2市8町で消防組合を設立。現在は有明広域行政事務組合荒尾消防署となっている。この庁舎に設置されている災害情報指令センターは荒尾玉名地区全体を統括している。

旧荒尾

昭和53年建設の大島の荒尾消防署。大牟田と比べれば新しい庁舎だった。さらにこの前の庁舎は、南北に方向を間口としたものが東寄りに建てられていて、写真中央付近に鉄骨望楼があった。


昭和53年以前の荒尾消防署の画像がないので、空中写真を掲載する。昭和49年撮影(国土地理院HPより)

 

 

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