島原航路のこと
C 大牟田方面からの島原観光
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島原航路の記憶は約40年前から始まる。当時、大牟田駅東口(表駅)にバス待合所があり、西鉄、九州産交などのバス交通の拠点となっていた。ここから「築港行き」のバスに乗って、内港の南岸壁(※)にあった島原行きの渡船場に行った。
大牟田地区では、明治後期に築造された三池港は「築港」と呼ばれていたが、島原地区においても昭和中期に築造された島原外港のことを「築港」と呼んでいた。
島原航路は雲仙、加津佐までの交通手段として使っていた。人だけの乗船のときでも有明フェリーを使う手もあったが、その頃、大牟田駅発長洲港行きの九州産交バスは便数が少なく連絡も悪かった。国鉄の長洲駅から長洲港までは少し距離がある。
初めて高速船に乗ったときにはそのスピードに驚いた。桟橋を離れ、方向転換をすると一気に加速する。そのときの波は、有明海にしては高く(現在は風速12m/秒以上で欠航となる)その波の上を飛び跳ねるように船は進んでいった。船もかなり揺れていた。伊勢正三やイルカが歌った「海岸通り」のような穏やかな別離の雰囲気などまるでない。こんな凶暴な運航をしていいのだろうかと子ども心に思った。
※ 平成元年にbTバース付近の三池ポートサービスが運航していた三池港遊覧船乗り場に移転。移転後の発券所、待合所は旧検疫所時代からの建物。
大牟田地区の庶民の生活では、島原航路の利用は、主に島原半島の観光を目的としたものであった。
島原航路−島原鉄道−長崎本線というルートを使って、長崎市内までという観光もなくはなかったが、圧倒的に雲仙国立公園、島原半島の名所との結びつきであった。
筆者の偏見で行き先ベスト3を挙げると、雲仙、小浜温泉、加津佐(実際には加津佐ではなく島原市内だろうが)であろう。
大牟田から最も近いところでミヤマキリシマが見れる、霧氷が見れる、ロープウエイに乗れる・・・それが雲仙である。
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雲仙から橘湾方面に下りる。火山は阿蘇のような噴火口もあれば、雲仙、霧島のような地獄という形でも現れる。キリスト教徒の迫害で大叫喚地獄と呼ばれた雲仙地獄を見て、小浜温泉で極楽を感じる。
夏は加津佐、前浜海水浴場。島原外港駅から島鉄南目線
もちろんベスト3だけでなく、城下町の雰囲気を残す島原市内、原城跡、愛野や俵石の展望台、海の幸、山の幸、茶摘みの体験・・・。島原航路は観光地としての島原半島を身近にしてくれた。
戦後、修学旅行が復活したときも大牟田地区では島原航路を使った島原半島めぐりだった。その結びつきが強固になったおかげで、有明フェリーが就航した後も長崎市内を巡って雲仙泊というコースが定着していた。だから結構、大牟田地区の人たちは島原のことを知っている。
このようなことからも島原航路の功績を伺い知ることが出来る。
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島原にも大牟田にも繁華街の入り口には「だるまわたネオン」があった。左は島原市万町、右は大牟田市有明町(築町) |
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