有明望嶽庵・おから研究室調査班レポート『笹林町の洋館』

 

下司さんのお尋ねの建物は現存します。BBSでお出しした写真を再掲しますが、赤い丸印を付けたところです。その南側の青い丸印が神社です。なお、昭和503月の航空写真は、下司さんのご記憶の昭和40年頃とは様子は変わっておりません。

昭和503月の航空写真(国土交通省HPより)

さて、まず、ゼンリンで見ましたところ、「川上さん」の名前は昭和42年から掲載されています。(それ以前は別の方のお名前)ゼンリンの地図は昭和45年頃に模様替えし、それ以降、しばらくこの家自体が記載されていません。再び記載されるのは昭和49年頃からで、そのゼンリンでは今の入居者の方のお名前になっています。それからすると、「川上さん」が入居されていた時期はおよそ特定されます。ただ、それは川上さんが一番ご存知で、これ以上の調査は無意味です。

建物につきましては、隅切屋根の洋風造りであったと思います。隅切屋根は、勾配の付け方や屋根瓦の形状は変わりますが、洋風建築にも和風建築にも採用される屋根形式です。

この建物は、増築されており、現在は、半分は当時の隅切屋根、新しい部分は切妻屋根となっています。瓦は新しい日本瓦に葺き替えられていますが、昔の洋風建築では、現在のように洋瓦でなく日本瓦を使ったものが多いので、おそらく、当初から日本瓦が使われていたと思われます。

現在もお住まいの方がいらっしゃるので、建物の写真は掲載しませんが、およそのイメージは、絵のとおりです。

当初の隅切屋根の母屋(イメージ)

切妻屋根で右側に増築

外壁のレンガは確認できませんでした。現在は、母屋の部分はモルタルに塗装をかけたような外観で、一見平凡な木造モルタルの家屋です。三池工業高校(旧三池集治檻)の塀のように、モルタルの下に煉瓦があるのかも・・・と思って見ていたところ、グッドタイミングで家の中から白髪のお婆さんが出てこられました。「ここらに煉瓦造りの家はありませんか」と尋ねたところ、「ここですよ。改修したから今はそう見えませんけどね。」と期待どおりのお答え。

お婆さんの話によると、終戦直後、建物は12坪しか建てられなかったので、増築を見越して、基礎だけは造っていたそうです。その後、増築して(昭和50年の航空写真では増築されていません)、現在に至っているとのことでした。

神社につきましては、鳥居に「天満宮」とありますが、正式には笹林天満神社というそうです。石燈篭や狛犬などから、昭和3〜4年の建造と思われます。鳥居は平成5年に石造りとなりましたが、それまでは木の鳥居で、白蟻にボロボロにされたとのことです。

昭和初期に建てられた笹林天満神社

周辺の市街地整備につきましては、BBSで書いたとおりでありますが、今回調査した建造物は戦災復興の区画整理がされる以前のものであり、南側の道路(写真中赤)からのアプローチを取ってあります。

以上、簡単ではありますが、有明望嶽庵・おから研究室調査班による、洋館と神社についてのレポートでした。(2006.7.14

 

 

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BBSの記事(記事が多くなると古いものは消されていきますのでコピーして掲載しておきます)

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レンガ作りの洋館の思い出 下司哲哉

2006/07/09(Sun) 20:15

つじ様 立て続けの書き込みで申し訳ありません。本日どうしても気になったことがあります。35年から40年前のはなしですが、叔母さんが住んでいた、レンガ造りの洋館が笹林町現在は2丁目でしょうか?大牟田小学校の正門前の並びでS脇建設さんの事務所のすぐ上の小高い(表現が難しい)場所にレンガ造りの一軒屋、2階建ての洋館がありまして、D綿社長の所有で社宅として叔母さん(叔父はD綿勤務)は約8年間住んでいました。裏には小さな八幡宮か何とか神社がありました。以後はD綿社長のお身内が住まわれたと聞いています。D綿社長の明治町の自宅も笹林町の洋館も大変珍しい貴重な建物だと昔聞いておりましたがどうなったのでしょうか?S脇建設あたりの建築現場らしきものを見て、突然思い出しました。あの洋館はどうなったのでしょう。ご存知でしたら、公表できる情報でしたら教えてください。お邪魔しました。

 

もう少し情報を下さい つじ

2006/07/10(Mon) 22:07

正確な場所がわかりませんので、取り急ぎ、ここらの話で知っていることだけを記しておきます。
大正以前のメインの通路は写真の赤いラインです。したがいまして、この赤いラインに面している部分がこの地区の古い市街地です。
その頃は旧オーム牛乳裏から原山にかけての丘が、青いライン付近までせり出していて、その丘を切り崩し青いラインの道が開通したのは昭和の初め頃です。
同じ頃に、笹林公園の小高い丘が切り崩され、第2尋常小学校が現大牟田小学校の位置に移転します。でも、まだ黄色のラインと赤のラインの間くらいまでは、笹林公園のすそ野でありました。
黄色のラインの道路は戦災復興の区画整理で黄色の整備されます。したがいまして、S脇建設の並びは比較的新しい住宅のはずです。
場所は写真の東西に走る赤いラインの上にある白っぽい台形屋根の上付近でしょうか。ちょうど台形の斜辺にあたるところに今も煉瓦の擁壁が残っていたと思います。ひょっとして関係があるかもしれません。
もし叔母さんの苗字をメールででも教えていただければ、当時の住宅地図と照らし合わせることができますので、詳しい調査ができると思います。
なお、今回掲載しました航空写真は30年前(昭和503月)のものです。40年前のご記憶であれば建物の配置も若干変わっています。

 

Re: 今はどのあたりでしょう。 下司哲哉

2006/07/10(Mon) 23:45

つじ様 さっそくありがとうございます。つじ様が指摘されました、赤いラインの上の台形の大きな屋根のすぐ上辺りかと思います。裏にあった、神社?が分かると良いのですが。叔母の苗字は「川上」です。叔父は退職する頃にはD綿社(Dマックス)の常務をしていました。叔母と従兄弟に確認しましたところ、その後赤レンガの洋館はどうなったのかまったく知らないとのことでした。それにしても、つじ様の情報・資料はすごいですね。あらためて、恐れ入りました。私もできれば現地を見てみたいと思います。また、貴重な資料をありがとうございます。曖昧な記憶で申し訳ありません。

 

しばらくお待ち下さい つじ

2006/07/12(Wed) 22:19

苗字を教えていただきましたので、場所が特定できました。神社は今でも残っています。
レポート作成まで少々お時間をいただきたいと思います。

 

お待たせしました つじ

2006/07/14(Fri) 18:42

簡単ですが、レポートを掲載します。
仕事帰りに調査していましたら、洋館のお婆さんの話が聞けました。ラッキーでした。

 

詳細なレポートに感謝いたします。 下司哲哉

2006/07/15(Sat) 09:00

つじ様  お忙しい中、詳細なレポートをいただきましてありがとうございます。つじさまのレポートの通りに建物そのものは狭く、一階は二部屋と台所、なのに建て増し予定の赤レンガの囲いのある庭?はありました、当時自宅で撮影した叔母さんや従兄弟の子供の頃の写真でもあれば良いのですが確認しておりません。また、12日に現地に行きましたがS脇マンションの工事中で生コン車だらけで通ることが出来ずに裏の八幡宮から見上げましたが、アバートや他の家がありましたが、レンガ造りの面影はなくもう建物そのものがないのだろうと思いながら帰宅しました。ところが、流石はつじ様の「おから研究所調査班」、現存していること、当時の屋根の形、入居されている方への聞き取り調査・・・ありがとうございます。叔母さんと従兄弟へも報告いたします。今度お会いできるときには、「赤レンガ洋館」や「富士喫茶」などお話できればと思います。いつもいつも他力本願のお願いばかりで申し訳ありません。心の中のモヤモヤがフッ飛びました。ありがとうございます。

 

すごい展開 山田元樹 Home

2006/07/15(Sat) 10:28

さすがつじさま、短時間のうちにここまで詳細なレポートをまとめてしまわれるとは素晴らしいの一言です。私も毎日そばを通りますので、見に寄ってみたいと思います。あの辺に小さいながら神社が鎮座しているというのも初耳で驚きです。身近なことでも知らないことが本当に多いのですね。改めて足元の歴史を身を入れて勉強しなければと痛感しました。

 

追補版を送付します つじ

2006/07/16(Sun) 19:26

下司さん、山田さん、毎度ありがとうございます。
さて、おから研究室は、他人から見ればくだらないテーマを掘り下げて研究するという、実に趣味性の高い(くだらないとも言われる)コーナーです。特に、『ジョージア2005「歌ジャケ」懸賞にチャレンジ』なんぞは、周りの人から嘲笑を買いました。
ただでさえ、豆腐のしぼりカスのおからのような研究でありますが、今回の笹林町の洋館の調査では、HPに掲載した調査結果から、さらに「おからのおから」が出ています。
HPに掲載できない(掲載に値しない)調査のこぼれ話を追補版としてまとめましたので、お二人にメールで送付させていただきます。
また、HPをご覧の方で、追補版のつまらない話を見てみたい方はご一報下さい。

 

追補版に感謝、感激いたします。 下司哲哉

2006/07/16(Sun) 22:48

つじ様 追補版もじっくりと読ませていただきました。感謝、感激であります。予想も空想も及ばない話のドラマティックな展開。お忙しいい中、私の個人的な希望を叶えていただき、どのようにお礼を申し上げてよいか分かりません。これほどの貴重な資料を収集管理され、なお且つ詳細な調査をされた、つじ様のエネルギーには頭が下がりっぱなしです。叔母さん、従兄弟には必ず報告いたします。「おから研究室、万歳」ありがとうございました。

 

追補版すごい! 山田元樹 Home

2006/07/17(Mon) 20:00

つじさま、追補版ありがとうございました。震えがくるくらい感動しました。昨日、くだんのお宅と笹林天満神社を見に行きました。下司さまの書き込みとつじさまのレポートがなければ、あのお宅がそんなに由緒ある建物とは気付かなかったでしょう。確かによく見れば、西側の元からの部分にはれんが建物によくあるバットレス(外面に突き出た柱型)を見て取ることができました。笹林天満神社は昭和初期の建造とのこと。大牟田が最も輝いていた時代ですね。この小さなお社はどんな街の歴史を見守ってこられたのでしょうか。

 

 

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