サンショーファミリー

 

2005118日、サンショーファミリーはマミーズと屋号を変えた。

サンショーファミリーは、もともと三池炭鉱の売店から発展したスーパーマーケットで、少し前は売店を経営する会社の名前『三池商事』(三池商事→三商→サンショー)と呼ばれていた。

三井経営となった三池炭鉱では、石炭の増産とともに労働者を住ませる社宅も増やしていった。当然のことながら、そこには日常品をはじめとする商業が成立することとなる。

そこで、会社は『売勘場』と呼ばれる売店を労働者向けに設けた。炭鉱労働者は売勘場で通帳で商品の売買をしたが、会社側としても労働者に支払った賃金を再び吸い上げることのできる『福利厚生』であった。

サンショー時代の原万田店

サンショー時代の小浜店

旧サンショーファミリー勝立店

売勘場は大正125月、産業組合法に基づく『三井三池共愛購買組合』となった。本来であれば、現在でいう生協みたいなものでなければならないが、その実態は、組合の役員は会社幹部であり、事実上、会社から牛耳られた組織であった。

組合では社宅の住民だけでなく一般の市民にも商品の販売を行っていた。これにより市中の商業者との摩擦が生じ、地元の不満は徐々に膨らんでいった。

そして、組合が金融業にまで手を広げると、商業者の怒りは爆発した。

昭和86月、大牟田商工会議所は決起集会を開催し、組合を『非人道徳的罪悪』『鉱山社の弱者に対する強要』『不法行為に依る惨害』と糾弾、組合の取り潰しを政治、行政に求めた。この対立は、三池争議が集結するまで続くことになる。

会社の福利厚生施設としての売店は三井鉱山の他にも、三井染料(現三井化学)の売店があった。小生の母親から聞いた話だが、社宅外の人への物品販売は染料の売店(後の三西ストア)より鉱山の売店のほうが厳しかったということで、これは市内の商業者の圧力によるものだったと思われる。

組合は昭和362月、三池商事という会社に変わる。幼少の頃は『サンショーファミリー』などというハイカラな屋号ではなかった。小生の記憶にあるのは七夕(長溝町)、旭町の販売所でどちらもくすんだ下見板の外壁、天井から電球がぶら下がっているようなオンボロ木造の店舗だった。

その他、三池商事の売店は小浜北社宅の道路の東向かい、正山町、勝立宮前社宅の南、臼井社宅、新港町社宅、四山社宅、緑ヶ丘社宅、原万田社宅、宮内社宅などにあった。

三池商事は後に三池ファミリーレーンを開設した。売店も『サンショーファミリー』となって近代的なスーパーになった。七夕、正山町の不採算店舗を整理しながらも三池炭鉱閉山後も生き伸びてきた。

原万田店

緑ヶ丘店

勝立店(旧馬渡社宅)

しかし、産業再生機構下に入った三井鉱山の経営建て直しのため、2004年(平成16年)9月、三池商事はマミーズ(福岡県三潴町)に売却されることになった。

売却後しばらくは『サンショーファミリー』の屋号が使われたが、ついに屋号もマミーズとなってしまった。

市内の商業者との対立があったにせよ、サンショーがなくなるのもいささか寂しい気がする。しかし、完全にクローズという事態が避けられ、庶民の日常の買い物ができることは幸いであったと思う。

 

 

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