主(あるじ)のプロフィール

 

東京オリンピックの第3日目に誕生。父母は東洋高圧に勤務していたが、子どもの成長にあわせて社宅を移動。大牟田市の白金(現黄金町)、上官、白川の社宅を経て、念願の自家取得。おかげで不自由なく育った。心から感謝している。

地元の高校を卒業後、開明の志を抱いて長崎へ。積年忍苦の精神研鑚の後、長崎の仇を江戸で討つとばかりに上京。バブル期の企業戦士として二十四時間闘う。

江戸の暮らしも幾歳月が流れ、『停車場の 人込みのなかに そを聞きに行く』ということもなくなった頃、異土の乞食(かたゐ)となる運命をねじ曲げて帰郷。ふたたび古里での暮らしが始まる。

帰郷当時、雲仙普賢岳は噴火していて、有明海を隔てたこの地からも火砕流の発生が肉眼ではっきりと確認できた。その凄まじさは今も忘れない。火山灰もよく降った。人間が大自然を克服することは不可能と思った。

そんなこんなで今は一男二女の父親となった。長女は小学生になって二度入院した。月並みな願いではあるが、三人とも健康に育って欲しい。

* 子どもの頃、わけもわからず歌っていた『リフのズンドコ節』の心境が理解できるようになった。コミックソングのようで男児の成長とサラリーマン社会にもまれる様子が伺える。荒井注のパート(飲んでくだまき噛みついて…)をつい口ずさんでします。あの唄には定年、そして老後の心境がなかった。これからこの唄の続きを体験することになる。できることなら充実した人生を過ごして鬼籍に入りたい。

* 田舎の生活でも思ったよりいろいろなことがある。この望嶽庵で時には罪を悔やみ、時には朗らかな朝(あした)の夢を見る。辛いこともあるが楽しいことも多い。

 

望嶽庵主 つじ

 

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