交番コレクション

〜新大牟田市史編さん応援企画〜

 

現在、大牟田市では市制100周年を記念して新市史の編さんが進められている。新市史に先行して別冊という位置付けで『年表と写真で見る大牟田の100年』という佳作が出版され、いやが上にも本編の完成に期待が膨らむところである。

市史編さん関係者の一層の健闘を期し、本レポートは勝手に応援企画とさせていただく。

警察署の出先である「派出所」は、現在では「交番」と呼ばれている。子どもの頃、ご高齢の方が「交番」と言われていたから、アンティークな同義語と認識していた。

歴史的には、明治14年、それまでの「交番所」が「派出所」に改称された。平成6年に「派出所」は「交番(KOBAN)」に改められた。

「こちら葛飾区亀有公園前派出所」という有名な長寿漫画は、平成6年の改称以降も「亀有公園前交番」とはされず、それから20年以上、連載終了まで「派出所」で通された。だから平成生まれの日本人は「派出所」は「交番」と同義語と認識しているだろう。

ここでは、時代に応じて「派出所」と「交番」を使い分けることにする。

日本の警察組織は、戦前は内務省統括により府県が設置した警察部、GHQの占領政策として実施された国家地方警察と自治体警察、大牟田市においても昭和23年から28年まで大牟田市警が存在した。昭和29年からは新警察法が施行され都道府県警へと移り変わっている。

警察の所管が変わる中で、派出所に関する記録がされていないものもある。平成11年(1999年)に大牟田警察署112年の歩みを綴った『不知火』が刊行されたが、その中でも「所在地不明」など、事実が判明していないものもある。

『おから研究室』で調査、研究していると、ついこのあいだのこともわからなくなってしまっていることも多いと感じる。(本レポートにもあやふやなところが多々あるので正確な情報をご存知の方は是非ご教示いただきたい。)正しく歴史を記録するという意味においても新市史に期待するところである。

平成15年(2003年)827日、福岡県警では大規模な交番、駐在所の統廃合が実施され、大牟田署管内でも12駐在所(大牟田市8、高田町4、)の全廃、12交番(大牟田市11、高田町1)の7交番(大牟田市6、高田町1)への再編が行われた。長い間慣れ親しんだ「派出所」が一気に減った。

そもそも公的機関の出先の統廃合は、市町村合併や都市の栄枯盛衰、技術の発展などの要素が大きく絡んでいる。

交番以外の例では、大牟田市役所の三川、銀水、三池、駛馬、玉川(勝立)の各支所が平成17年(2005年)に廃止された。これらは合併前の旧町、村役場であり、効率性を追求していけば、これらを統合していくことが合併の効果となる。三川町合併は昭和4年、銀水村、三池町、駛馬町、玉川村の合併は昭和16年。支所の廃止は交通機関やITの発展が背景にあるのだが、支所が本庁に統合されるまで、戦前の合併から実に70年を要している。

交番、駐在所は地域の治安の維持という点においては、役場以上に生活に密着している。大牟田での派出所、駐在所の設置は明治20年前後から行われている。明治22年時点での大牟田市域には上内村、倉永村、銀水村、手鎌村、三池町、大牟田町、三川村、駛馬村、玉川村があり、移動手段が発達していない時代、それぞれに生活の拠点が形成されていた派出所、駐在所も庶民の生活の拠点のひとつであった。それがどのように新設、統廃合されていくか、まちの動きと合わせて見ると面白い。

大牟田は我が国の近代化と戦後復興を石炭、化学産業で牽引し、平成9年(1997年)には基幹産業であった三池炭鉱が閉山した。市制100周年、激動の1世紀であった。

人が集まる、まちが形成されるところに派出所、駐在所が置かれる。交番の歴史も地域の世相を色濃く反映しているのである。


平成15年の統廃合の前に交番と駐在所の写真を撮りに行った。「あんた、何ば撮りよっとね?」と三池交番の警察官に怪しまれたが「なくなる前にまちの記録を保存するために撮っています」と正直に答えて事なきを得た。

あれから14年、廃止された交番、駐在所の建物はほぼ解体されている。そのとき撮った画像も懐かしい景色になってきた。

今回は、201712月現在で存在する交番を軸に、コレクションの画像とともに派出所、交番、駐在所の動きまとめてみる。

 

系譜

倉永交番系

銀水交番系

勝立交番系

三里交番系

大牟田駅前交番系

大正町交番系

おわりに〜派出所の

 

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