大野下駅木造駅舎の記録

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大野下駅の開設後、この地区の交通事情は格段に向上しました。北に行けば大牟田、南に行けば高瀬、熊本と、農村と工業地帯、繁華街、中枢都市が直結しました。

大野下駅の駅舎の天井にはロッキードP-38ライトニング戦闘機による機銃掃射の跡がありました。弾痕からすると12.7o砲と思われます。太平洋戦争では、人や物資輸送の拠点となる駅は、攻撃の的となっています。このような田舎の駅まで攻撃しなくてもよさそうですが、不幸にも大野下駅も狙われました。しかし、この近辺は市街地ではなかったため焼夷弾攻撃ではなく、焼失は免れました。おかげで趣のある木造駅舎を見ることが出来ました。



機銃掃射の跡2002年撮影)

飛来したロッキードP-38ライトニング戦闘機

木造駅舎は約34坪、駅の開業当初から改修、増築されながら使われていました。木造の便所も併設されており、ネイティブな姿が見られた大変貴重な駅でありました。夜の利用は恐怖感もあった離れの木造便所は、大野下駅舎の建替後、この近辺では肥後伊倉駅にしか見られなくなっています。木造駅舎と木造便所、余りにも雰囲気が良すぎたので、駅員さんにお願いし、駅で列車を待つ人の目もはばからず、現地で採寸作業を行い、図化しました。



在りし日の木造便所2002年撮影)

木造駅舎と木造便所の図面

 

 

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