松屋が刻んだ時
〜ミュージックサイレンの再現に関する研究〜
松屋のミュージックサイレンをもう一度聞きたいと思っていました。
しかし、その夢はかなうことなく、松屋は閉店し、解体されていまいました。
そこで、おから研究室の総力を挙げて、松屋のミュージックサイレンの再現に取り組みました。紆余曲折しましたが、ようやく完成しましたので、研究成果を発表したいと思います。
再現は松屋から1.5〜2km離れた場所に住んでいた筆者の記憶によるものです。
【研究のポイント】
●素人でも比較的容易にメロディが作れるmidiで原曲を入力しました。しかし、midiの音源では、あまりにも単純な音となりますので、とてもミュージックサイレンとは思えません。
●そこで、midiの原曲にリバーブ(反響音)が利くアプリケーションで効果を加え、バリエーションも豊富で加工がしやすいwaveに変換して試行錯誤を繰り返しながらミュージックサイレンの音に近づけていきました。
●筆者の記憶では、まちが静かになった21:55のサイレンが最も鳴り響いていたと思います。次いで朝の6:55のサイレンの反響が大きく、まちが活動している11:55と16:55は朝、夜ほどは響いていませんでした。したがって、21:55>6:55>11:55>16:55で反響音の調整をしています。とは言うものの、音はまちの建物、土や草木、人などで複雑に反射、吸収されますので、やはり本物の再現はPCでは難しいと感じました。
●単音のサイレンの音楽は、まちに反響するおかげで、スラーが見事になめらかな聞こえ方をしていました。近年の電子音のミュージックサイレンでも、スラーがうまく表現できているものは少ないと思います。しかし、こちらもPCによる再現であり、大変難しいと感じました。
●残響のおかげで、楽譜と実際に聞こえる曲は異なって聞こえました。ミュージックサイレンの弱点は、音の反響が大きいため、休符がうまく表現できなりところにありました。(それもミュージックサイレンの「味」でありました)今回、聞こえていたとおりに再現するために、原曲の休符を変更しています。
●曲が始まる前と終わってから、演奏部分ほど大きくありませんが、ウィーンという音が流れていました。小生は少々離れて住んでいましたので、まちに出たときにしか聞いていませんでしたが、松屋から半径500m程度以内のところでははっきりと聞こえていたと思います。今回、3秒ほどですが、曲が始まる前に入れました。耳を澄ましてよく聞いてみてください。
●画像は既になくなってしまった過去の構造物が写っているものも使用しています。また、写真は得意としておりませんので、手ブレ、ピンボケ、露出不足・オーバー等々はご勘弁下さい。
●このページに動画の埋め込みを行っていますが、YouTubeにもアップしています。(YouTubeでご覧になる方はここをクリックして下さい)
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金比羅山からの風景→諏訪川水門→大間山からの風景→三池港船渠→三井金属歴木社宅→浅牟田の三井化学工場→上内峠→大牟田駅前→四ツ山からの風景→三池山登山道 松屋全景→田隈の田園風景→JR 松屋の塔屋→三川発電所→大牟田駅のホーム→市の中心部と三池山→甘木山の仏舎利塔→松屋正面玄関→三池 松屋玄関シャッター→銀座通り商店街→築町だるまわたネオン→大牟田川と銀座ビル→浅牟田の化学工場群→国道208号 YouTubeがブロックされる方はmidiバージョンでお聞き下さい。Midiバージョンは原曲を入力した初期の頃の作品であり、味のない機械的な音となっています。 (2011.04.03) 【ミュージックサイレン資料編】 松屋のミュージックサイレンについては、「大牟田の近代化遺産」の掲示板で、2005年に下司哲哉さんが書かれていた内容がもっとも詳しい情報でありますので、当時のスレッドを転載します。 ************************************ 松屋のミュージックサイレンについて 前略 はじめまして、私は ************************************ 松屋のミュージックサイレンについて2 下司哲哉 投稿日:2005/10/04 23:23 お待たせいたしました。サイレンの管理をされていた日高さんのお話からです。松屋のミュージックサイレンは1959年、昭和34年から稼動。前年は三池争議で大騒ぎ、町が暗くなった時期だったのです。市民のために町を明るくと、当時50万円をかけて松屋屋上に設置されました。現在では2000万円くらいになるそうです。現在のヤマハ、日本楽器の特注製品、日本に一台です。九州では小倉と大牟田にしかなかったそうです。遠くは ************************************ ありがとうございます 山田元樹 投稿日:2005/10/05 06:42 下司さま、松屋サイレンについて、詳細な書き込みを頂き誠にありがとうございます。柳川まで聞こえていたとは驚きですね。 「裏話」なども楽しみにしております。今後ともよろしくお願いします。
************************************ 松屋のミュージックサイレンについて3 山田様 慌てて書き込みさせていただきました。何箇所かに誤字脱字や訂正しなければならない箇所があります。お詫び申し上げます。また、訂正させてください。「新世紀・ラルゴ」は間違いでした。正しくは「新世界から・ラルゴ」ドボルザークの名曲です。それから、私は松屋のミュージックサイレンの音をもう一度聴きたくて録音されている方やその情報を探しております。何かよい情報がありましたら私にも教えてください。 ************************************ 松屋のミュージックサイレンについて4 下司哲哉 投稿日:2005/10/06 08:53 山田様 続きを書き込ませていただきますが、ワードが下手くそなもので誤字脱字を気づかずにいる場合があります、ご容赦ください。さて、続きです。メンテナンスを担当された、日高さんによりますと、松屋のミュージックサイレンのメンテナンスは先輩から引き継いだ仕事で1963年から1978年の運転終了時までを担当されていました。自分が一日に4曲流れる「巨大オルゴール・パイプオルガンの優しい音色」「市民に愛される松屋のサイレン」を誇りにされています。「松屋のミュージックサイレンを大牟田の空に響かせる会」の会長に日高さんを、私は実行委員長になって有志とお金を集めますからとはなしたものです。また、日高さんの奥様もご主人の仕事を理解され、「松屋のミュージックサイレン」を愛され誇りに思われています。しかし、残念なことに松屋は倒産・閉店してしまいました。サイレンの復活について日高さんは、パーツもないし、ヤマハ(日本楽器)に相談しても設計図があるかどうかも分からないし、経済的にも2000万円から3000万円はかかるだろう、最新のデジタルの似た音では昔懐かしい音が再現できたとしても雰囲気がどうか、と一緒に考えたものです。私は古い映画の「街の灯り」堺マチャアキ主演に音色があったような、怪しい記憶ですがどこかに録音が残っていないか探しています。 では、今回はここまでで終わらせていただきます。
************************************ 小生も松屋ファン 下司さんのスレッドを興味深く拝見しました。ちょうど日刊大牟田で、松屋の食堂で働いていた方の娘さんの手記が連載されており、松屋のことを思い出していました。 ************************************ つじ様アリガトウございます。 下司哲哉 投稿日:2005/10/09 11:17 こうやって松屋の話ができるのは大変ありがたいことです、これからもいろいろと情報交換をお願いいたします。松屋の記録を以前に読ませていただいたと思います。また、ゆっくり拝見します。そうです、あの鏡誰もが知っていて、年齢に関係なく楽しめたものです、上方には「天下一品・ダルマ綿」か何か書いてあったと記憶します。また、ダルマ綿のダルマさんのお顔怖かったような、延命球場前の土手のお顔よりも厳しかったようなイメージです。あの鏡はどうなったのでしょうかね。「松屋の・・・会」には実行理事・幹部としてご参加ください。と、ご案内できるようになると嬉しいのですが。また、ミュージックサイレンの件で再度ヤマハ楽器関連のヤマハ・ハイテックに問い合わせをしましたが、残念ながら情報は得られませんでした。ところで、つじ様をはじめ、山田様たちが一同集合されての会合などされているのでしょうか?よかったら私も混ぜていただけませんか。宜しくお願いいたします。ではまた。
************************************ 松屋のミュージックサイレンについて5 途切れ途切れの投稿で申し訳ありません。ヤマハ・ハイテックの岩崎様によれば、松屋と同型のものは早い時期から、新型のものが製造され、15年前までは注文販売をされていたそうですが、私の希望するミュージックサイレンの資料や当時を知る技術者の方々は既に退職されて連絡は取れないとのことでした。そのように言われてしまうと余計に情報がほしくなります。NHKテレビの「プロジェクトX」にでも取り上げてもらうか、何かの番組か新聞の追跡調査でもしてもらわないと無理かな・・・「プロジェクトX」・・それこそ無理でしょうけど、どなたかお知恵を授けてください。この「大牟田の近代遺産」を調査された皆様なら何か良い知恵をお持ちの筈ですから。当時、小倉でも同じようなサイレンがあったそうですから、そちらから攻めるのもいいのかな?いずれにしても知っている人物がこの世にいらっしゃるうちにできるだけ正確な情報を集めておきたいものです。アドバイスをお願いいたします。宜しくお願いいたします。
************************************ 賑わせていただきありがとうございます 下司さま、つじさま、このBBSを賑やかにしていただきありがとうございます。松屋への思いは私も未だ断ちがたく、まだ残る松屋の建物、屋上の看板を日々目にしては、複雑な思いが胸をよぎります。残念ながら、私は、松屋のミュージックサイレンを耳にしたことはありませんが、皆さまからいろんな思い出話を伺い、まるで、我がことのように錯覚しておりました。今回下司さまが詳細なる情報をご教示くださり、なおのこと聞いてみたかったものだと歯がゆく感じられます。「松屋のミュージックサイレンを大牟田の空に響かせる会」を設立されるようでしたら、微力ながら、お仲間に加えていただければと存じます。
お尋ねの「一同集合しての会合」というのは今までのところ特段やっておりませんが、「松屋の・・・会」を開かれましたら、そこに結集するというのは如何でしょうか。 話は変わりますが、今日(平成17年10月9日)三井港倶楽部の草取りに長男と二人で参加してきました。港倶楽部も先日三井鉱山から保存会に譲渡の契約が正式に取り交わされ、新聞に求人広告も出されていますし、待ちに待った再開がようやく現実のものとして実感できるようになりました。今日は大勢の人が、奉仕活動に汗を流され、一日で随分きれいになりました。実際に業務に携わられる方はまだまだ大変でしょうが、皆さんとともに大いに期待してその日を迎えたいと思います。
************************************ 三井港倶楽部に思い出があります。 下司哲哉 投稿日:2005/10/10 17:09 山田様 私も三井港倶楽部の草取りに参加したかったのですが、残念ながら時間が取れませんでした。まだまだ暑かったでしょう、広いし、大変だったでしょね。子供さんもボランティアで良い経験をされたことと思います。本当にお疲れ様でした。さて、私も結婚式を港倶楽部で挙げました、友人の結婚式も港倶楽部で、その時に「オレもぜったいここでするぞ」と相手もいないのに決めていました(笑い)。それ以前にも何度か食事やコーヒー飲みに行きましたし、何より毎回訪れる度に建物の外見と内装などをジロジロと見て回ったり、写真に収めたりして楽しんでいました。最終日には食事の予約が取れずに親子でコーヒーだけ飲んで、結婚式のパンフレットを貰って帰りました。このパンフレットは偶然にも最後の2部で私がその最後を2部ともいただきました。柳川の人たちが「御花」を誇りにしているように、「三井港倶楽部」は ************************************ 私も下司さんと同じで、松屋の閉店でだるまわた曲面鏡がどうなったか心配でした。 ミュージックサイレンの最後の姿(既に多くのパーツが外されている) 左にヤマハの音叉マーク、右の銘板は「NIPPON GAKKI S.K.K.」の文字が確認できる 2007.12.22撮影
午前6時55分、「新世紀よりラルゴ」・午前11時55分、「春の小川」・午後4時55分、「夕焼け小焼け」・午後9時55分、「浜千鳥」以上は1963年まで。64年からは「ボルガの舟歌」・「春の小川」・「埴生の宿」・「菩提樹」になった。時刻が5分前なのは工場のサイレンとかぶらないように。サイレンが故障して(4時55分の)サイレンが鳴らないと、「子供が家に帰ってこないので困る」と苦情がたくさん寄せられたそうです。私の母も「松屋のサイレンの鳴ったなら帰ってこんねー」と言っていました。また、元日には「一月一日」を特別に流したそうです。いかがでしょうか。少しはお役に立てましたでしょうか。取り急ぎ今夜はここまでですいません。また、裏話などは後日投稿いたします。失礼いたします。さようなら。
さて、裏話等の続きを少し記入させていただきます。1月1日(元日)には特別に唱歌「一月一日」を午前5時55分に演奏されたそうですが、ミュージックサイレンのつくりはオルゴールとオルガンを一緒にしたような作りになっていたそうで、ピアノと同じような鍵盤が本体のすぐ横に設置されていたそうです。そこに元日の朝、演奏のできる方をお願いして屋上の装置まで上がってもらい寒い中で演奏していただいたということです。なにしろ元旦の朝ですから聞いている人も少なかったり、まさか、こんな曲が松屋の屋上から聞こえるはずが無いと信じない人がいたりしたそうです。私は昭和34年生まれでこのサイレンと同い年です、このことは偶然にもよく覚えています。私の家は
松屋は大牟田の文化そのものでありました。
1階の量り売りの菓子のメリーゴーランドや6階のだるまわた曲面鏡、商品用のアコーディオン扉のエレベーター、屋上の遊具。全てが大牟田のアイデンティティでした。
小生は下司さんより少し年下の昭和39年生まれでありますが、松屋を知っている生き証人として、松屋のことを語り継いでいきたいと思います。
微力ではありますが、自身のHPに松屋の記録を掲載しておりますので、機会があればご覧になって下さい。
下司さんの松屋のお話が聞けることを楽しみにしています。
「松屋のミュージックサイレンを大牟田の空に響かせる会」が設立されましたら、実行委員会の丁稚奉公で構いませんから是非仲間に入れて下さい。
もし、債務処理の関係で、管財人がオークションにかけるということになれば10万円くらいなら入札に参加しようかとも考えておりました。
それで、その消息を追跡したところ、無事ということが判明しました。BBSという衆目に触れるところで公表すると迷惑がかかるとかと思いますので記載しませんが、信頼できる情報です。
いつの日か、「松屋のミュージックサイレンを大牟田の空に響かせる会」で見学に行きたいと思います。
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