井筒屋久留米店


明治通りから見た井筒屋久留米店。隣の木造の店舗もかなり古そう。


明治通り側は歩道を占拠しているのか、アーケード代わりのピロティか。まちに来る人にとっては、便利な造りかも。


六ツ門アーケード側。アーケードを挟んで向かい(右側)の新世界地区には再開発の話がある。井筒屋も組み込まれるのではないかという噂もある。


六角堂側から。かつては、ここのあけぼの地区も再開発の準備が進められていたが頓挫。準備組合が土地を先行取得していたため、後処理が大変だった模様。六角堂は再開発の代償として整備された。


かつてダイエーが入っていた六ツ門プラザ。今も閉鎖されている。


六ツ門プラザ近くに高層マンションが建設されていた。やはりこのまちもマンション建設が再生の手段となるのだろうか。


JR久留米駅前でも組合施行の再開発事業が進められている。久留米は100年前のようにまちがJR側にシフトしていくのだろうか。

 

航空写真で見るまちの移り変わり


1947年(昭和22年)撮影の久留米の市街地。写真中央、明治通りに影を落としている建物が旭屋(井筒屋久留米店)。まちが復興してきている様子がうかがえる。旭屋周辺には、既に建物がある。


1948年(昭和23年)撮影。旭屋の南側(現在の井筒屋のアーケード向かい)新世界地区の建ち並びがはっきりと確認できる。


1962年(昭和37年)撮影。解像度は低いが、明治通り側に向かった百貨店の姿が見える。六ツ門地区は密度の高いまちとなっている。この頃、旭屋が井筒屋に買収された。


1975年(昭和50年)226日撮影。六ツ門商店街にアーケードが整備されている。まだ井筒屋の姿は大きく変わっていない。この頃既に、近代的な店舗の井筒屋大牟田店が開店していた。


1981年(昭和56年)1012日撮影。アーケード側まで店舗が増築されている。この頃、井筒屋久留米店は最大の売上げ(19822月期で160億円)となる。久留米のまちが最も賑わっていた時期で、六ツ門プラザ(ダイエー六ツ門店)の地中工事が行われている。西鉄駅前の岩田屋新館、リベールも同時期に建設された。


1987(昭和62)920日撮影。ダイエー六ツ門店も建ち、順調だった時期。この頃から郊外型量販店が進出してくるが、景気の追い風もあり商売は成り立っていた。


2007年(平成19年)撮影。バブル崩壊後、まちの商業は失速。20036月、まちの活性化を目指し、井筒屋東側、あけぼの地区の一角に六角堂広場(しばらく駐車場だった)がオープンするも、ダイエー六ツ門店は200511月閉店。2008年(平成20年)2月期決算が63.54億円まで落ち込んだ井筒屋久留米店は翌年2月末での閉店が発表された。井筒屋のアーケード向かいの新世界地区もリニューアルが進んでいない。

 

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