見聞録
#060 レール建築
レールを部材として使った建築は、プラットホームの上屋などによく見られ、そう珍しいものではない。しかし、最近では少しずつ撤去されているそうだ。
大牟田、荒尾にもレールを構造部材として使っている施設がある。代表的なところでは、大牟田駅の1番線ホームの上屋と連絡橋(東半分)、荒尾駅はロング・ロング・ブリッジと呼ばれる連絡橋である。大牟田駅は戦災で焼失したが、戦後間もない時期、少なくとも昭和22年には連絡橋が架けられていた。多分、今も残る連絡橋であろう。(ホームの上屋は昭和30年代と思われる)
銀水駅などはホームから数段の階段を降りて線路を横断し、再びホームに上るという造りで(西鉄は安全措置が取られているとは言え、今でもこの線路を横断するものが多い)連絡橋が整備されたのは昭和40年代に入ってから。しかも、この頃になるとH形鋼が使われていた。
東京在住の頃、水道橋駅のレールの架構が美しいと思っていた。特に曲げ加工がされているレールは美しい。
レールを使った架構は近辺でも、鳥栖駅、羽犬塚駅、瀬高駅などにも残っている。マニアの間では、レールの刻印を調べて新橋−横浜間のレールや満鉄のレールを発見して楽しまれているようだ。ウィキペディアによると大牟田駅のホームの上屋には八幡製鉄所の皇紀表示のレールが使われているとのこと。
経済設計をすれば、レールを使うということにはならないだろうが、あるものをそのまま使った、工夫の時代の造形美である。
写真をクリックすると大牟田・荒尾のレール建築が見れます【080629】
3月29日、有明海沿岸道路が開通した。矢部川橋の沈下で、高田ICと大和南ICの間がつながっておらず、また、大和南以北は一般道との平面交差も多く、自動車専用化が完全にできていないため、暫定開通とされているそうだ。また、大牟田IC(諏訪公園付近)から南は、三池港ICまで整備される予定で、用地買収はかなり進んでいるとのことだが、まだ諏訪川の橋梁は着工していない。
開通して数回走ってみた。大牟田ICから高田ICまでは、片側1車線ではあるが、自動車専用道路となっており、快適な移動ができる。大牟田・旧高田の縦断は、国道208号線を走るよも時間は10数分短縮されると思う。今後は出発地と目的地のICまでの距離を考えながらこの道路を使うことになるだろう。
ガソリン税と道路特定財源問題は政局となった。地方の存続の要望行動が行われる反面、運送業者、消費者の撤廃の声もあった。この問題の賛否を語るつもりはないが、道路整備のあり方について、真剣に考えなければならない時期に来ていることは間違いない。
さて、この道路の上から、これまでと違った大牟田のまちが見ることができた。今まで見てきた角度とは異なるからそう感じるのだろう。黒崎公園から有明海を臨んでいたが、逆になる黒崎公園の景色も新鮮である。道路から見下ろす諏訪公園や精錬所のタワー型の煙突もいい。マンションの灯りが灯る夜景を見ると大牟田もまあまあ都会と思うし、横須工場の炎を吹き上げる煙突がまたいい。360度、風景と一体化できるオートバイでの走行がおすゝめである。
写真をクリックすると大牟田付近の有明海沿岸道路が見れます【080511】
縁あって、楽天イーグルスの外野手、憲史選手(川口憲史、柳川高校出身の背番号61。右投左打。たまに一塁も守る)を、友人と福岡憲史会(全くの任意団体。メンバーは極めて少数)というグループを結成し、応援している。明るい性格のいい青年である。近鉄が優勝した年は、規定打席には達しなかったものの素晴らしい活躍をした選手である。
昨年は何回かお立ち台に上がったが、野村監督は「松中(ホークス)以上のスイング」と評しており、まだまだ、実力どおりの活躍とは言えない。今シーズンは、オープン戦で調子が出ず、心配していたが、開幕3戦目からスタメン出場している。お世辞にも足が速いとは言えないが、そこらあたりはご愛嬌。しかしそのために、スタメン出場した試合でも、終盤で守備固めのために交代させられたり、代走を出されたり・・・。応援しているほうとしては少々辛い。
今年も右投手の試合での起用だろうが、憲史は左相手でも打てると思う。現に、昨年も左の変則投手の武田勝(日ハム)から本塁打を放っている。足はあきらめるが、右も左も打ち崩し、松中以上の実力を発揮し、レギュラーポジションを獲得してほしい。
写真をクリックすると2007年8月28日フルスタ宮城日ハム戦での憲史選手の活躍が見れます【080327】
今、万田坑(詳しくはここをクリックして下さい)への接続道路が整備されている。万田坑記念館側からのアプローチとなっており、旧妙見社宅の敷地を通る道路である。この道路が開通すると万田坑にも行きやすくなる。このHPでガソリン税の暫定税率の問題を論じるつもりはないが、近代化遺産の活用を考えてみた場合、ありがたい道路であることは間違いないだろう。
ところで、大牟田、荒尾には多数の万田坑に似た建物がある。正確には『炭鉱施設をモチーフにした建物』となるのだが、とりわけ切妻屋根に円形の換気窓は、煉瓦構造物の規模の大きさから万田坑がその代表であるから「万田坑に似た建物」と言ってよいだろう。(その他、旧三川電鉄変電所、今はなき三池製作所旧鍛冶工場などがある)
万田坑に似た建物は、設計者のオリジナリティを放棄していると、辛口の批評もあるのは事実だが、街じゅう万田坑になっても面白いような気もする。
まもなく、万田坑の櫓の保存に向けた調査が始まるらしい。この画像でもわかるように、櫓の色は茶色、鉄骨の錆はかなり進行していて、改修は技術的も費用的にも厳しいだろう。しかし、万田坑は三池炭鉱施設の代表格、本物があってこその「似た建物」である。某研究機関の仮想評価法を用いた調査では、万田坑の保存に
写真をクリックするとまちの万田坑が見れます【080205】
東京ドームの一角に野球体育博物館がある。そう広くもないが、常設展示、企画展示のある本物の博物館である。プロ野球の有名選手が使っていた野球用具、サインボール、WBCやオリンピックなどの記録、ビデオの上映など、野球好きなら500円の入場料で一時間は楽しめる。
この中に野球殿堂がある。野球殿堂は球界の発展に寄与した方々の功績をたたえるために、1959年(昭和34年)につくられている。先日、2008年の殿堂入り三氏(元カープの山本浩二氏、元ジャイアンツの堀内恒夫氏、元海草中の嶋清一氏)が発表された。この三氏をはじめとして、殿堂入りした方々は球界の発展に寄与していると思うが、これまでに、小生が最も感心を抱いたのは軟球を開発した鈴鹿栄氏である。アメリカには、ハード(硬式野球)とソフト(ソフトボール)という概念しかない。日本独自の軟球の開発により、我が国の野球の裾野は大きく広がり、今では小学生から高齢者まで野球を楽しんでいる。もちろん、名選手の素晴らしいプレイは観る者を惹きつけるが、この功績は本当に大きい。そのようなことを思いつつ、博物館でのひと時を過ごした。
その他、博物館には初代・野球盤などの展示もある。近くに寄られた方は、入場されてみることをお勧めする。
写真をクリックすると野球体育博物館の模様が見れます【080127】
SEO | [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送 | ||