見聞録

#025 大日本製氷

大牟田の大正町通りを南に下ると、通りの西側、大正町6丁目に屋根の飛んだ煉瓦の建物が視界に入る。トータルクリスチャン教会の建物である。

炭鉱施設が『近代化遺産』と呼ばれているが、この建物に関しては、市内では無視された状態にある。

この建物は、今は教会として使われているが、もともとは大日本製氷鰍フ大牟田工場であり、大正13年に建てられたものである。

炭鉱施設の煉瓦構造物はおよそ明治期までに造られており、大正期に入ると鉄筋コンクリート造が主流になっている。この点は、さすがに技術を誇った最先端の産業だったと関心する。それからすれば大正末期の煉瓦建築物など相手にされないのかもしれない。しかし、製氷技術にしても明治以降、わが国に入ってきた優れた技術であり、それまでは、魚などの生鮮品は『干物』とか『塩漬け』などで保存するしかなかった。今日では全く意識されることはなくなったが、製氷技術のおかげで人類はどれほど多くの恩恵を授かってきたことだろうか。ちなみに大日本製氷鰍ヘ他の製氷会社との合併、買収を繰り返し、現在では冷凍食品の『ニチレイ』となっている。

このようなことを思い浮かべながら半分白色に塗られた煉瓦の建物を眺めていると、結構いい味を出している建物に見えてくる。これも大牟田の近代化遺産である。

写真をクリックすると東側からの建物の姿が見れます050612

 

 

 


#024露天堀

大牟田の白川の露天堀は戦中、戦後のわずかな時期に石炭が『露天掘り』にて採掘されていた。今は水が溜まって堀になっている。

昭和40年代の半ば、小生にとってこの近辺は絶好の遊び場であった。その中で、堀の西側の道路のクリークにしばしば大量の水が放流されていた。はじめの頃は何の水かはわからなかったが、やがて、それが露天堀の水を抜いているということを知った。

露天堀は周辺の雨水が流れ込む水溜りであり、ここに溜まることによって堂面川への雨水の流入が緩和され氾濫を抑制する、という役割を果たしているそうだ。雨が止んで堂面川の流量が落ち着いた後に、露天堀に溜まった水が放流されている。

露天堀は三井鉱山の所有地であり、一般人は立入禁止となっている。昔はどこからか入り込んで、隣にあったゴルフ練習場から飛んできたボールを拾いに行っていた。手で水際の底をさらいてみると石炭のカスが出てきた。時にはハエ釣りもしていた。今ではこの堀にもブラックバスが放流されているだろうか。・・・露天堀は昔と同じ姿のままである。

写真をクリックすると露天堀の全景が見れます050522

 

 

#023 楽天参上

今年もプロ野球が開幕した。注目は何と言っても東北楽天ゴールデンイーグルス。

50年ぶりに誕生した新球団ではあるが、オリックスと近鉄の合併でプロテクトから外れた寄せ集め集団であるから、弱いのは当たり前・・・というのが一般的な評価。旧近鉄の磯部、吉岡、川口、鷹野などはその実力からは、プロテクトから外れたというより、よほどオリックスに行くのが嫌だったのか、恐らく、自ら外してくれと言ったのではないかと思う。でも、ピッチャーがいないのでやはり一般的な評価どおり、弱いのは間違いないと思う。

しかし、この新球団の出現は喜ばしい限りである。昨今の状況からすると、ライブドア球団にならなかったことが、結果的にはイメージ戦略的にもよかったのではないだろうか。しかし、現在のペースでいけば軽く100敗はするし、余りの弱さに三木谷オーナーも球団売却を考えるかもしれない。そのとき、ライブドアが買収・・・となる可能性はないことはない(?)。

それはそうと、何とか頑張ってプロ野球を面白くしてほしい。プロ野球界のお荷物状態だった南海ホークスがダイエーに売却されて優勝するまでに10年かかった。東北のプロ野球ファンも奇跡を期待せずに、長い目で見てもらいたいものだ。

写真をクリックするとヤフードームでの楽天戦が見れます050421

 

 

#022 荒尾市営バス

#021と同じ331日、荒尾市営バスが廃止となった。荒尾市営バスは昭和24年(1949年)2月より運行を開始し、56年もの長きにわたって市民の足として走り続けてきた。

大牟田育ちの小生は、荒尾市営バスにはそう多く乗った記憶はない。幼少の頃、グリーンランドに行くのに荒尾駅から乗ったくらいだ。グリーンランドに行くには、倉掛経由の西鉄バスで現在の成田山の手前(以前はこちらが正面入口だった)で降りるか、三池鉄道の平井駅(現在のマミーズ緑ヶ丘店付近)で降りるか、国鉄荒尾駅で荒尾市営バスに乗り換えて緑ヶ丘四つ角付近(バス停の名前は忘れた)で降りるか、大牟田方面からはこの3つのルートが使われていた。中でも荒尾駅から市営バスに乗り換えるのは、市の中部、北部に住んでいた小生にとっては最も縁遠いルートであり、1度使ったくらいだったと思う。当時、バスは薄い赤っぽい色だったと記憶している。

最近は市営バス、市立病院、競馬場が3つの赤字と言われていたが、人口5〜6万人の荒尾がよくもこんな公営事業ができたものだと感心する。今となっては考えられないことだが、炭鉱景気による税収や水利権や競馬場の上がりが相当あったのだろう。

荒尾市営バスは最盛期の昭和50年(1975年)には年間460万人もの乗客があったが、平成15年には60万人程度にまで落ち込んでおり、累積赤字も6億円近くまで達したそうだ。今後1年間、これまでの路線は産交バスが引き継いで運行するとのことだが、それ以降はどうなるかわからない。しかし、市民生活での移動に対する需要がなくなるわけではないので、一つのビジネスチャンスとして前向きに考えられないかと思う。

写真をクリックすると荒尾市営バスの風景が見られます050410

 

 

#021 福岡県立大牟田南高等学校

331日、大牟田市にある3つの県立高校(大牟田南高校、大牟田商業、三池農業)が閉校した。

この3高校を統合した形で、ありあけ新世高校が三池農業の場所で開校している。感覚的には三池農業が会社合併で言えば存続会社というイメージだが、全て閉校、1校新設というのが正しいようだ。

大牟田商業は三池農業に近く、グラウンド等が継続して使われるということであったが、大牟田南からは完全に生徒の姿が消える。小生の高校受験の頃は大牟田南の競争率が市内の県立高校で一番高かったのだが、少子化とともに私立高校の頑張りもあって定員割が続いていた。これが衰退が続く大牟田の現実ではあるが、あの大南が消えてなくなるといのは本当に寂しい限りだ。

小生が高校生の頃の大牟田南といえば、女生徒の真っ黒いセーラー服、二輪の免許の取得禁止が印象的だった。多くの卒業生を輩出している大南だから、例え形はなくなっても歴史を語り継いでいってほしい。

・・・既に大牟田北高も定員割が発生しており、そう遠くない将来に大牟田北高、三池工業、三池高の統合(これも正式には閉校というのだろう)が行われるかもしれない・・・

写真をクリックすると大牟田南高ギャラリーに行きます050331

 

 

 

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