見聞録

#010 春の珍事・その後

春に猛ダッシュを見せてくれた広島は、予想どおり(#006参照)失速し、最下位になってしまった。

普通、開幕ダッシュをかけると捨てゲームを作りながら楽なレース展開となるのだが、広島の場合は捨てゲームだけを作ってしまった。

チーム打率はセ・リーグトップ、防御率はドンジリ。ここまで予想どおりになってくれるとは思っていなかったが、本当に期待を裏切らない球団だ。

残り20試合あまりとなったが、もうこうなったら勝敗にこだわらず、若手の投手を投げさせてみるなど、来年に向けた投手の補強を考えるべきであろう。

今年は8月に横浜vs広島を見に行った。最下位決定戦で既に消化ゲームであったが、両チームともエラーがなく引き締まった試合だった。このような試合を見ると、プロ野球ファンとしてはうれしくなる。【写真をクリックすると、横浜スタジアムに行きます】

まだまだ、広島も(横浜も)捨てたものではない。しかも、10年目で年棒700万という苦労人、嶋が現在も首位打者として頑張っているのは明るい話題であり、来期も誰か出てくるのではないかと期待してしまう。

広島がパ・リーグにいたなら間違いなく身売りだったろうが、セ・リーグにいたことは幸運以外の何ものでもない。

そのことを肝に銘じ、これからも精進して欲しい。【040913

 

 


#009 防空壕

荒尾・四山の防空壕()と大牟田・萩尾の防空壕

ダイレックス荒尾店の向かい、四山の山腹に無造作に埋められた防空壕がある。この防空壕は昭和40年代頃まではぽっかりと口を開けていたと記憶している。

親父は防空壕の話をしてくれたことがある。

うちの親父は青年期まで四山社宅に住んでいた。その頃、四山社宅側と早米来側を結ぶ長い防空壕があって、境山(四山のうちの一つ)を貫通していた。

中は枝分かれしており、けが人を収容する部屋などがあり、空襲(昭和20726日夜半から27日未明にかけての空襲と思われる)で大やけどした人たちが三川町方面から運ばれてきていた。人肉の焦がれたにおいがしていたとのことだった。

その防空壕は、戦後、社宅の増設のために集められた大工さんたちの仮の宿舎に使われていたこともあったそうだ。

大牟田・荒尾には人知れず防空壕の跡が残っている。

子どもの頃は衆目にさらされてそう珍しいものではなかったが、埋められてしまうと何となく戦争の記憶に蓋がかけられてような気もする。

多分、防空壕があったことさえ忘れられているのではないだろうか。

防空壕を郷土の歴史的遺産とするか否かは別として(そのような議論は当分起こらないだろう)、このまちが戦渦に巻き込まれた証を見るたびに、二度とこの防空壕が使われないことを祈らずにはいられない。【040814

 

 


#008 SHIINJO

かくして、新庄はSHINJOになった。

メジャー、3Aでは人気と実力のアンバランスさが目立ったが、守備はメジャーでも通用していたと思う。

西日本短期大学付属時代の『新庄』と合同練習をしたという知り合い(7つも年下だがかなりオヤジ)がいるが、『やはりプロになれるくらいの野球センスがあった』と言っている。

日本のプロ球界でも成績は際立つものではない。アベレージで.280も打てればいいほうだろう。

【写真をクリックすると福岡ドームでのSHINJOの活躍が見れます】

しかし、よくよく考えてみればプロは「客を呼んでナンボ」という世界であり、経営的には客を呼べる下手な選手は客を呼べない上手い選手に勝るという評価があるかもしれない。

福岡ドームでのホークスvsファイターズの試合を見に行ったが、少ないビジターグッズ販売の中で、なな、何と新庄専門のコーナーがあった。地元出身という事実を割り引いてもたいしたものである。

外人でさえカタカナ表記なのに新庄は『シンジョウ』を超えて『SHINJO』になった。

ただ、最近はニッポンハムの「モーニングサーブ」のCMで子どもの人気も獲得しているので『しんじょー』という表記でもいいのではないかと思う。

ちなみにCMの中で『ぐっど・もおにんぐ・さあぶ』という新庄の台詞があるが、『これが本当にアメリカ帰りか!?』と疑ってしまうくらい日本語表記の発音である。【040619

 

 


#007 残された欄干

三池(住所は歴木)の高等技術専門校と竹原団地の間の道を西に行くと、道路沿いの壁際にコンクリート橋の欄干があります。ところが、この橋の下には川はありません。

片側の親柱は残っておらず、今となっては橋の名前をうかがい知ることはできませんが、『大正十二年二月架』という文字は確認できます。

市内の現存するコンクリート橋の中でもかなり古いものです。この橋は昔の堂面川にかかる橋でした。

【写真をクリックすると大正15年当時の地図が見られます】

さて、現在、堂面川と長溝川は御幸返橋の東側で合流していますが、もとは別々の2本の川でした。

長溝川は白川小学校の南側を通り、白光中学校の南側を流れていましたが、2本の川の付け替え後は水無し川となりました。

戦中、戦後の露天掘りの石炭は長溝川の河床にトロッコ軌道を敷設し、長溝川踏切(白光中学校東)で三池専用鉄道に積み替えていたそうです。

上白川公民館付近からは昔の堂面川のルートになります。堂面川はもともと白川小学校北側の市営住宅の中を流れていましたが、公害復旧で現在の位置に付け替えられました。

国道208号線の白川歩道橋の下から西へと流れているのが旧堂面川で、現在では、河川断面も狭められクリークと化しています。

他にも旧堂面川と旧長溝川の遺構が残っているかもしれません。ご存知の方はぜひご連絡下さい。【040525

 

 


#006 春の珍事

広島東洋カープは元祖・市民球団である。近年、千葉ロッテマリーンズ、福岡ダイエーホークス、大阪近鉄バッファローズ・・・など地方の名を冠した球団が増えたが、ロッテのことを『千葉』とか、ダイエーのことを『福岡』とか呼ぶ人は少ない。企業の名を完全に排した横浜ベイスターズが『横浜』と呼ばれる程度である。(それでも小生はつい『大洋』と言ってしまうことがある。)広島は誰が何と言っても『広島』である。

今年の広島は開幕ダッシュで見事な快進撃であった。しかし、これは春の珍事で終わる可能性が高い。

プロ野球界のお荷物とまで言われた広島が1975年のリーグ初優勝以来、1997年までの23年間でAクラスを外したのはわずかに4回、1991年までに6回のリーグ優勝を果たしている。

この黄金期を支えたのはまぎれもなく投手だった。初優勝の時のエース外木場、池谷、北別府、福士、川口、大野、長冨、佐々岡、優勝請負人・江夏、忘れちゃいないぜ炎のストッパー・津田・・・いい投手の名前がどんどん出てくる。野球は何と言っても投手が勝負の鍵。爆発打線に貧弱な投手陣という今の巨人を見れば一目瞭然。

日本のプロ野球は、投手より打者のほうが、年俸が高くなる傾向がある。高給取りの江藤や金本を放出せざるを得ない広島は、安い給料で働く投手を財産としなければならない。この市民球団は、投手陣を引き締めて、我が阪神タイガースとともに頑張ってプロ野球を面白くしてほしいと思う。【040501

【写真をクリックすると、広島市民球場のスタンドに行けます】

 

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