C祝米寿〜銀水駅を国宝に

 

九州旅客鉄道鰍フ銀水駅は前身の日本国有鉄道より以前、鉄道省が直轄で鉄道事業を行っていた大正154月に開業した。

現在の駅舎の建築された時期は公式記録には残っていない。しかし、近所のご老公に聞いてもこれ以外の駅舎は記憶にないと言われるので、開業当初からの姿であろう。つまり、今年で齢88、米寿を迎えたこととなる。

木造瓦葺。下見板の外壁の駅舎は、今となってはどこにでもあるものではない。

当時は後世の評価など考えられずに建てられたのだろうが、周りが変われば「変わらない」という価値が出てくる。

和尚は汽車(原文のまま。筆者はJRのことを汽車と呼ぶ世代の模様。)に乗らなくても銀水駅に行く。特に、国旗が掲げられる祝日には欠かさず参拝する。これほど日の丸が似合う硬派の駅舎はない。この大島国を代表する光景を好む人は多く、鉄馬と写真を撮る人や異国からの訪問者が後を絶たないという。

静かな待合室の長椅子に座ると

♪暗い待合室 話す人もない私の耳に私の歌が通り過ぎてゆく…♪

と昭和47年のレコード大賞受賞曲「喝采」を口ずさんでしまうくらいいい雰囲気だ。

幼少の頃から銀水駅を見続けてきた和尚は、銀水駅を国宝として次の世代に引き継ぎたいと考えている。

その価値を確かめるべく、柱を撫でてみる。思わず叫ぶ。手触りサイコー。

土間に頬ずりをしてみる。またしても叫ぶ。肌触りサイコー。

板壁を舐めてみる。またまた叫ぶ。舌触りサイコー。

そのとき、背後に視線を感じた。振り返るとアメリカ人(原文のまま。筆者は外国人=アメリカ人と呼ぶ世代の模様。)が立っていた。

「アナタ、ナニシテルンデスカ」

一瞬赤面したが、ひるまず答えた。

「アメリカからの客人よ。ここらには、この由緒ある駅舎と触れ合えば不老不死の身体が手に入るという言い伝えがあるのだ。一緒やってみるか。」

唖然としているアメリカ人の手を取り、やり方を指南した。

「上手くなったな。じゃあ、一人でやってみよう。ワシはしばし用を足してくる。」

用から戻ると人が集まっていた。衆目の先には、駅舎に頬ずりをしているアメリカ人がいた。何をやっているんだろうと思ったが、腹が減ってきたのでそのまま家に帰った。

次の日、地元紙にそのアメリカ人の話が載っていた。「フローフシデス」と邦人が理解できないことを訴えているらしい。とはいえ、前向きにとらえれば銀水駅の価値が国際的に認められているということだ。

国宝になる日が近いことを確信した望嶽庵和尚は、今日も銀水駅を拝みに行くのであった。

【有明地域生活情報誌 クレバ58号(2014.06.05発行)掲載】

 



 


 

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