鉄骨警鐘台

右の写真は大牟田川沿いの旭町(現在の五月橋・伊能忠敬記念碑付近)の警鐘台です。右側の三池銀行の隣に貯蓄銀行、その隣にポンプの格納庫がありました。上が戦災前で下が昭和20年(1945年)726日の空襲直後ですが、焼けたまちの中に鉄骨警鐘台の骨組みが残っています。

鉄骨望楼のミニチュア版のような鉄骨警鐘台は大牟田では3箇所に残っています。荒尾では今のところ見たことがありません。

近隣他地区では意外と残っているのですが、大牟田・荒尾地区は結構少ないと思います。

現在は、電柱に梯子がついた警鐘台(下のスイッチで音が鳴るとのこと)に建替えられています。

三脚(三池分団・三里分団)と四脚(玉川分団)のものがありますが、いずれも屋根と台の形状は円形です。

鉄骨警鐘台は戦前からありましたが、現在残っているものは昭和30年代から40年代にかけて造られたものと思われます。

 

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三池分団警鐘台(米の山)

(市政だより昭和40年11月10日号)

三里分団警鐘台

玉川分団警鐘台(教楽木)

 

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